観光は世界経済の約1割を占める巨大産業で(WTTC等の推計)、その温室効果ガス排出も小さくない。観光の炭素フットプリントを世界規模で推計したLenzenらの研究(Nature Climate Change, 2018/2009〜2013年平均)は、観光が世界の排出のおよそ8%を占めると報告した。日本のインバウンドは2024年に過去最高の約3,687万人(JNTO)に達し、政府は観光立国推進基本計画で2030年6,000万人を掲げる。ただ、観光の脱炭素で気になるのは、業界の発信が「SAFを混ぜます」「オフセットします」で止まりがちなことだ。本稿は、その耳ざわりのよいキーワードの裏にある——排出の帰属、オフセットの実効性、観光客を増やしながら減らすという矛盾、税の制度的制約——という、触れられたがらない論点を直視しながら、航空・宿泊・観光地の事業機会を整理する。

1. まず「誰の排出か」を決めないと、議論が噛み合わない

観光の排出は、移動(とりわけ航空)が大きな部分を占め、これに宿泊、地上交通、飲食などが続く(配分は推計手法で幅があるため、ここでは「航空が最大の塊」という構図だけ押さえておく)。移動距離が長いほど排出は跳ね上がり、長距離の海外旅行1回で個人の年間排出の相当部分を占めることもある。

ここで実務上やっかいなのが、「その航空CO2は誰のものか」という帰属(Scope配分)の問題だ。同じフライトの排出を、航空会社が自社のScope 1として持つのか、旅行者個人の排出とするのか、旅行を企画したDMOや旅行代理店のScope 3に乗せるのか——立場で答えが変わる。観光地(DMO)が「地域の観光の脱炭素」を語るとき、来訪者がそこまで来るための航空排出を含めるかどうかで、数字は桁違いに変わる。この帰属を曖昧にしたまま「Net Zero観光地」を名乗ると、最大の排出源を勘定の外に置いた“見せかけ”になりかねない。脱炭素の議論は、削減策を並べる前に、まず「どの排出を自分の責任として数えるか」を決めることから始まる。

2. SAFとオフセット——「混ぜます・買います」で終わらせない

航空の脱炭素の柱は、SAF(持続可能航空燃料)への転換、新型機材への更新、運航最適化、そしてオフセットだ。SAFは廃食用油やバイオマス、合成燃料を原料とし、ライフサイクルで従来燃料比おおむね6〜8割程度のCO2削減が見込めるとされる(削減幅は原料で大きく異なり、合成燃料ではさらに高い水準も見込まれる)。日本は資源エネルギー庁・経済産業省の方針で2030年に本邦エアラインの燃料使用量の10%をSAFにする目標を掲げ、EUはReFuelEU航空規則で混合義務を段階的に引き上げる。JALは2050年カーボンニュートラルとSAF活用を、ANAも同様の目標と機材更新を進めている。

ただ、ここで二つの「都合の悪い点」を押さえておきたい。一つはオフセットの実効性だ。航空業界の国際枠組みCORSIAは排出をクレジットで相殺する設計だが、そのクレジットに本当に「追加性」(その活動がなければ削減されなかったか)と「恒久性」があるかは常に問われ、「買って終わり」では脱炭素にならないという批判が根強い。もう一つはコストの跳ね返りだ。SAFは依然として割高で、供給も限られる。ReFuelEUのような混合義務が強まれば、その差額は最終的に航空券価格に転嫁されうる。「脱炭素は誰がコストを負担するのか」という問いを抜きに、SAFの混合率だけを語るのは片手落ちだ。電動・水素航空機は短距離・将来技術として期待されるが、長距離の本命にはまだ遠い。

3. 宿泊の脱炭素は「安い順」に着手する

宿泊業の脱炭素は、再エネ電力の調達(コーポレートPPAや再エネメニュー)、LED・高効率空調・断熱改修によるエネルギー効率化、ヒートポンプ等への給湯・暖房の転換、食品ロスや使い捨てアメニティの削減、地産地消の調達と多岐にわたる。MarriottやHilton、Accorといった世界大手が2030年前後の削減目標を掲げ、国内でも帝国ホテルや星野リゾートなどが取り組みを進める。

投資の進め方として現実的なのは、「安く早く効く施策から段階的に」だ。再エネ電力への切り替えやエネルギー使用量の可視化は比較的低コストで着手でき、断熱・空調更新といった大規模投資は建物の状態と回収見込みを見て判断する。投資額や回収年数は、建物の規模・築年・設備状況で大きく振れるため、「ホテルのNet Zeroはいくら」と一律の数字で語るのは危うい。まずは自館のエネルギー消費を測り、費用対効果の高い順に並べることが出発点になる。

4. 観光客を「増やす」と「減らす」の矛盾——量より質は脱炭素とは限らない

オーバーツーリズムへの対策として、京都・ニセコ・富士山などで入域料や宿泊税、予約制・人数制限、季節・地域の分散が進む。ここでよく語られるのが「量より質——人数を抑えて単価の高いプレミアム客を呼べば、収益を保ちつつ持続可能になる」という処方箋だ。だが、脱炭素の観点からは、この処方箋には落とし穴がある。プレミアムな長距離客ほど、そこまで来るための航空排出が大きく、1人あたりのCO2は最大化する。つまりオーバーツーリズム対策(地域の混雑と収益の最適化)と脱炭素(総排出の削減)は、必ずしも同じ方向を向かない。富裕層の長距離客を厚遇する戦略は、地域経済には良くても、観光の総炭素を増やしうる。「量より質=サステナブル」と短絡せず、収益最適化と排出削減を別の軸として設計することが要る。

5. 宿泊税・観光税は「使い道」と「制度の制約」で決まる

財源面では、宿泊税や入域料が地域の脱炭素・環境保全の原資として注目される。ただ日本では、宿泊税は多くが法定外目的税として各自治体が条例で設けるもので、総務大臣の同意や使途の制約があり、自治体ごとに税率や対象が異なる。導入が広がるほど自治体間の税率競争や、観光客から見た負担感の問題も出てくる。さらに、こうした財源で動くDMO(観光地域づくり法人)の多くは財源基盤が不安定で、単年度の補助に依存しがちだ。税の「使い道」を観光地保全・地域モビリティ整備・脱炭素投資・住民との共存施策に賢く配分すること以上に、財源を安定させる制度設計そのものが、地域の脱炭素を続けられるかを左右する。海外の入域料(ベネチア等)の事例も、税率の多寡より「何に使い、どう住民の納得を得たか」で評価したい。

6. 認証・OTA・出張——需要側からの圧力

需要側からの圧力も脱炭素を後押しする。GSTCやGreen Key、日本版のJSTS-Dといったサステナブルツーリズム認証が宿泊・観光地・旅行代理店に広がり、Booking.comなどのOTAはサステナブルな宿の表示やオフセット商品を提供する。企業のビジネス出張も、各社のSBTやScope 3目標に出張CO2が含まれるため、オンライン会議の定着、必要な出張への限定、鉄道へのモーダルシフトが進む。中小の宿泊業者にとっては、地産地消や地域文化といった専門特化、認証取得、OTA経由のターゲット集客が、大手と競合せずに差別化する道になる。気候変動そのものも観光地のリスクで、雪不足はスキーリゾートを、海面上昇やサンゴ礁の白化は海岸リゾートを脅かす。脱炭素(緩和)と並んで、こうした影響への適応も観光地の経営課題になっている(移動側の脱炭素は物流・運輸のゼロエミッション化も参照)。

こんなときに、Sasla

・自社の観光・宿泊事業のサステナビリティ戦略を業界専門家と整理したい
・ホテルのNet Zero戦略(再エネ、効率化、サプライチェーン)の論点整理
・SAF・オフセットの実効性を踏まえた航空脱炭素の評価
・観光地のオーバーツーリズム対策と脱炭素のトレードオフ整理
・宿泊税・DMO財源を含む地域観光マネジメント
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Saslaには、大手ホテルチェーンのサステナビリティ責任者、航空会社の環境戦略担当、観光庁・自治体観光部門の経験者、観光業界アナリスト、サステナブルツーリズムの研究者、観光関連スタートアップ起業家が登録しています。1時間のスポットインタビューから本格的なリサーチ・伴走支援まで、フェーズと予算に応じて活用可能です。

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よくある質問(FAQ)

Q. 「Net Zero観光地」を名乗るとき、最初に決めるべきことは?

来訪者がそこまで来るための航空CO2を、自分たちの数字に含めるかどうかです。航空排出は観光の最大の塊になりやすく、これを勘定の外に置くと、最大の排出源を無視した“見せかけ”になりかねません。削減策を並べる前に、どの排出を自地域・自社の責任として数えるか(Scopeの帰属)を明確にすることが出発点です。

Q. SAFとオフセットがあれば航空の脱炭素は進む?

「混ぜます・買います」だけでは不十分です。オフセット(CORSIA等)は、クレジットに追加性と恒久性が伴わなければ「買って終わり」になりがちで、批判が根強い論点です。SAFも依然割高で供給が限られ、混合義務が強まればコストが航空券価格に転嫁されうる。誰がコストを負担するのかを含めて設計する必要があります。

Q. 「量より質(プレミアム化)」は脱炭素になる?

必ずしもなりません。プレミアムな長距離客ほど、そこまで来るための航空排出が大きく、1人あたりCO2は最大化します。オーバーツーリズム対策(混雑と収益の最適化)と脱炭素(総排出の削減)は別の軸で、富裕層の長距離客を厚遇する戦略は地域経済に資する一方で観光の総炭素を増やしうる点に注意が必要です。

Q. ホテルのNet Zero投資は何から始めるべき?

「安く早く効く順」です。再エネ電力への切り替えとエネルギー使用量の可視化は比較的低コストで着手でき、断熱・空調更新などの大規模投資は建物の状態と回収見込みを見て判断します。投資額や回収年数は建物の規模・築年・設備で大きく変わるため、一律の金額では語れません。まず自館の消費を測ることから始めます。

Q. 宿泊税・観光税を地域の脱炭素に活かすには?

使い道(観光地保全・地域モビリティ・脱炭素投資・住民との共存)の配分以上に、財源を安定させる制度設計が重要です。日本の宿泊税は多くが法定外目的税で、自治体ごとに税率・使途が異なり、DMOの財源も不安定になりがちです。海外事例も、税率の多寡より「何に使い、どう住民の納得を得たか」で評価するのが実務的です。

耳ざわりのよいキーワードの、その先へ

観光の脱炭素は、SAFやオフセット、サステナブル認証といった言葉を掲げれば前に進むものではない。排出を誰の責任として数えるか、オフセットは本当に効いているか、観光客を増やしながら総排出を減らせるのか、財源は続くのか——こうした都合の悪い問いに正面から答えられる事業者・自治体だけが、観光客・事業者・地域・環境のバランスを取った戦略を実装できる。2026〜2030年は、SAFの混合義務、ホテルの削減目標、オーバーツーリズム対策、ESG投資家の評価が同時に進む。インバウンドが拡大する日本でこそ、表面的なキーワードの先にある論点を、現場を知る専門家との対話で詰めておきたい。

出典・参考資料

本稿で参照した主な一次資料。排出割合・目標値は各公表時点のもの。