TCFD・ISSB・SSBJCSRD ESRS——主要なサステナビリティ開示基準のいずれもが、Scope 3排出量(サプライチェーン全体の間接排出量、自社のScope 1・2を除く)の開示を求めるようになった。日本企業の多くは、Scope 1・2の算定はほぼ定常化したが、Scope 3は「業界平均値(2次データ)で計算するだけで精一杯」という段階に止まる。環境省は2025年3月、「1次データを活用したサプライチェーン排出量算定ガイド」(Ver1.0)を公表し、「削減努力が反映されるScope 3排出量算定」への移行を打ち出した。本稿では、GHG Protocol Scope 3 Standard、環境省・経産省「サプライチェーンを通じた温室効果ガス排出量算定基本ガイドライン」(ver.2.4、2022年3月)等の一次資料を踏まえ、Scope 3の15カテゴリ、算定方式、1次データ活用、サプライヤーエンゲージメント、SBT/開示基準との連動を包括整理する。

1. Scope 3の位置づけ — GHG Protocolの3区分

GHG Protocol(World Resources Institute(WRI)+World Business Council for Sustainable Development(WBCSD)共同開発)は、企業の温室効果ガス排出量を3つの範囲(Scope)に区分する。

GHG Protocolの3区分

Scope 1:事業者自らによる温室効果ガスの直接排出(燃料燃焼、工業プロセス)
Scope 2:他社から供給された電気・熱・蒸気の使用に伴う間接排出
Scope 3:Scope 1・2以外の間接排出。サプライチェーンの上流・下流からの間接排出

多くの企業で、Scope 3排出量はScope 1・2の数倍〜数十倍の規模になる。たとえば製造業ではカテゴリ1(購入した製品・サービス)が支配的、自動車・建設機械では使用段階(カテゴリ11)が圧倒的、金融業ではカテゴリ15(投融資先)が中核。Scope 3を見ずに「脱炭素」を語ることは、業界実態として通用しなくなった

2. Scope 3の15カテゴリ — GHG Protocol標準分類

GHG Protocol Scope 3 Standardは、Scope 3排出量を15カテゴリに分類する。

Scope 3の15カテゴリ

上流(Upstream、8カテゴリ)
1. 購入した製品・サービス
2. 資本財
3. Scope 1・2に含まれない燃料・エネルギー活動
4. 上流の輸送・配送
5. 事業から発生する廃棄物
6. 出張
7. 雇用者の通勤
8. 上流のリース資産

下流(Downstream、7カテゴリ)
9. 下流の輸送・配送
10. 販売した製品の加工
11. 販売した製品の使用
12. 販売した製品の廃棄
13. 下流のリース資産
14. フランチャイズ
15. 投資

各カテゴリの該当性は業種により異なる。製造業は1・2・11・12が大半、金融業は15、サービス業は1・4・6・7が中心、というように。算定の出発点は業種別のマテリアル・カテゴリ特定で、自社にとって重要なカテゴリから精緻化していくのが現実解。

3. 算定方式 — 2次データから1次データへ

環境省「サプライチェーンを通じた温室効果ガス排出量算定基本ガイドライン」(ver.2.4、2022年3月)は、算定方式を活動データと排出原単位の積で表現する。

Scope 3算定の基本式

カテゴリ別排出量 = 活動量 × 排出原単位

活動量の例:購入金額、購入数量、輸送距離、廃棄物量、出張回数等
排出原単位の例:単位金額あたりCO2、単位重量あたりCO2、単位距離あたりCO2等

2次データと1次データの違い

  • 2次データ:業界平均値、エコ原単位データベース(IDEA、産業連関表ベース等)。自社で取得不要だが、サプライヤーの削減努力が反映されない
  • 1次データ:サプライヤーから直接取得した排出量データ(製品ベース/組織ベース)。サプライヤーの削減努力が反映される

2次データ依存の限界

業界平均値で算定すると、サプライヤーが排出削減努力をしても自社のScope 3が下がらない。調達量を減らすしか削減手段がないという問題が生じる。SBT認定企業のScope 3削減目標達成には、1次データ活用が不可避になる。

4. 環境省「1次データ活用ガイド」— 2025年3月公表

環境省は2025年3月、「1次データを活用したサプライチェーン排出量算定ガイド」(Ver1.0)を公表。「削減努力が反映されるScope 3排出量算定」への転換を打ち出した。

1次データの種類

1次データの2類型

製品ベース排出量データ:サプライヤーが提供する個別製品ごとのCO2排出量データ。製品レベルのカーボンフットプリント(CFP)
組織ベース排出量データ:サプライヤーが算定する事業者全体のScope 1・2・3排出量を、購入金額按分等で配分するデータ

1次データ活用のステップ

  1. カテゴリ別の優先順位付け:マテリアル・カテゴリ、削減効果の大きいサプライヤーから着手
  2. サプライヤーの選定:上位10〜20社で全体の80%を占めるパレート的構造を活用
  3. データ要請とフォーマット標準化:質問票、計算ロジック、データ品質基準の統一
  4. データ品質の検証:第三者保証取得を見据えた取得プロセスの文書化
  5. 削減目標との連動:サプライヤー削減目標、SBTサプライヤー要請(66.5%)

5. 国際的なデータ交換プラットフォーム

1次データの活用には、企業間でのデータ交換の標準化が不可欠。国際的に複数のイニシアチブが進む。

PACT(Partnership for Carbon Transparency)

WBCSD(持続可能な開発のための世界経済人会議)が主催する、GHG排出量算定・データ交換の標準化イニシアチブ。Pathfinder Framework(算定方法論)とPathfinder Network(データ交換基盤)の技術要件を定める。

Green × Digitalコンソーシアム(日本)

JEITA(電子情報技術産業協会)が事務局を務めるコンソーシアム。Pathfinder Frameworkと整合した「CO2可視化フレームワーク」を定め、日本国内でのデータ交換標準化を推進。エレクトロニクス業界を中心に拡大中。

業界別の取組み

  • 自動車業界:Catena-X(EU・ドイツ主導)、CASIO(米国)等のデータ交換基盤
  • 電池業界:EU Battery Regulationのバッテリーパスポート(DPP)
  • 化学業界:Together for Sustainability(TfS)の調達者向け原単位
  • 食品業界:Sustainable Food Trustのトレーサビリティ基盤

6. カテゴリ別の実装難易度

Scope 3の15カテゴリは、データ取得難易度が大きく異なる。優先順位設計の参考に:

カテゴリ別の難易度評価

難易度:低〜中(社内データで対応可能)
・カテゴリ4(上流の輸送):物流業者からの請求書ベース
・カテゴリ5(廃棄物):処理業者の処理量データ
・カテゴリ6(出張):旅費精算データ
・カテゴリ7(通勤):人事データと標準的な通勤距離

難易度:中(社内データ+業界平均で対応)
・カテゴリ2(資本財):固定資産取得ベース
・カテゴリ3(燃料・エネルギー活動):エネルギー使用量から推計
・カテゴリ8(上流リース):賃貸契約ベース
・カテゴリ9(下流輸送):販売物流データ

難易度:高(サプライヤー協力が必須)
カテゴリ1(購入した製品・サービス):通常Scope 3の50%以上
カテゴリ11(販売した製品の使用):耐久消費財・自動車・家電で支配的
・カテゴリ10(販売した製品の加工):B2B中間財メーカー
・カテゴリ12(販売した製品の廃棄):使用段階終了後の処理推計

難易度:最高(業界全体の協力が必要)
カテゴリ15(投資):金融機関のScope 3。PCAF(Partnership for Carbon Accounting Financials)の標準化が進行中

7. SBTとScope 3 — 目標設定の論点

SBT(Science Based Targets initiative)認定では、Scope 3排出量も対象。とくに次のルールが重要:

SBTのScope 3スコープ要件

  • Scope 3の総排出量の40%以上を占めるカテゴリは、目標設定の対象に含める
  • または、Scope 1+2+3総排出量の40%以上を占めるカテゴリ
  • 金融機関の場合、カテゴリ15(投資)に独自のSBT for Financial Institutions(SBT-FI)

サプライヤーエンゲージメント目標

SBT認定では、サプライヤーエンゲージメント目標(Supplier Engagement Target)も推奨される。具体的には:

  • 5年以内に、購入金額または排出量の66.5%以上を占めるサプライヤーがSBT認定または同等の科学的目標を設定すること
  • サプライヤーへの目標設定要請、データ提供要請、削減支援を組織的に実施

8. 開示基準別のScope 3要求

各サステナビリティ開示基準は、Scope 3に異なる要求を持つ。

主要開示基準のScope 3要求

TCFD:推奨項目(任意)。「指標と目標」の柱で、可能な限りScope 3を開示
ISSB S2:マテリアルなScope 3カテゴリの開示を要求(移行措置あり)
SSBJ気候基準:ISSB S2と整合、Scope 3開示を原則要求
CSRD ESRS E1:Scope 1・2・3すべての絶対値開示、移行計画、シナリオ分析を要求
CDP気候変動質問書:Scope 3の各カテゴリ別の数値開示(C6.5)

SSBJの気候基準では、TCFD時代の任意項目から原則開示の枠組みに格上げ。「データがないから開示しない」が通用しなくなる

9. データ品質と保証取得

SSBJの第三者保証義務化、CSRDの保証要求——いずれもScope 3排出量がデータ品質チェックの対象になる。

データ品質の基準

GHG Protocolは、データ品質の評価軸として以下を提示する:

  • 地理的代表性:実際の地理的範囲と一致しているか
  • 技術的代表性:実際の技術や生産プロセスを反映しているか
  • 時間的代表性:報告期間と一致した時点のデータか
  • 完全性:対象範囲が網羅されているか
  • 信頼性:データソースの透明性、検証可能性

保証取得の留意点

限定的保証(Limited Assurance)から合理的保証(Reasonable Assurance)への段階移行が想定される。1次データの活用は、データ品質を向上させ、合理的保証取得を可能にする鍵となる。

10. サプライヤーエンゲージメントの実務

Scope 3精緻化の実務上もっとも負荷が高いのが、サプライヤーへのデータ提供要請。協力関係の設計が成否を分ける。

段階的アプローチ

  1. 戦略的サプライヤーの特定:購入金額・排出量の大きい上位10〜30社をパレート分析で抽出
  2. パートナーシップの形成:定期的な経営会議、削減目標の共有、共同のR&D
  3. データ要請の標準化:質問票(CDP Supply Chain類似)、計算ロジック、提出フォーマット
  4. 削減支援:技術提供、共同投資、グリーン調達契約
  5. 業界横断のコレクティブアクション:単独企業では限界、業界団体での共同要請

中小サプライヤーへの配慮

サプライチェーンには中小・地方企業も多い。「データ提供しないと取引終了」という強硬姿勢は、サプライチェーンの脆弱化と社会的批判を招く。教育、ツール提供、コンサルティングサービスの提供等、サプライヤーの能力構築を支援するエコシステム設計が望ましい。

11. デジタルツールとプラットフォーム

Scope 3算定のデジタル化を支えるサービスが急拡大中。

主要プラットフォーム

  • Persefoni、Watershed、Sweep(海外):エンタープライズ向けカーボン会計プラットフォーム
  • アスエネ、Zeroboard、booost(日本):国内中堅・上場企業向け
  • SAP Sustainability Cloud:ERP連動のサステナビリティ管理
  • Microsoft Sustainability Manager:Cloud-firstアプローチ

ツール選定の論点は、1次データ取得機能(サプライヤーポータル)、業界平均DB(IDEA等)との連携保証取得のためのデータトレーサビリティSSBJ/ISSB/CSRD自動レポート生成業界別の専門性などになる。

12. カテゴリ別の業種別ベンチマーク

業種別にどのカテゴリが支配的か、典型的なパターンは次の通り:

  • 自動車・建設機械:カテゴリ11(販売した製品の使用)が圧倒的(Scope 3の70%以上)
  • 食品・飲料:カテゴリ1(購入した製品・サービス)が中核(原材料)、カテゴリ4(物流)も大
  • アパレル・繊維:カテゴリ1(原材料)+カテゴリ12(廃棄)
  • 製薬・化学:カテゴリ1(原材料)+カテゴリ11(製品使用、適用先での反応)
  • 不動産・建設:カテゴリ1(建材)+カテゴリ11(建物運用エネルギー)+カテゴリ13(リース)
  • 金融・保険:カテゴリ15(投融資先)が支配的
  • IT・ソフトウェア:カテゴリ1(クラウドサービス・データセンター)+カテゴリ11(製品使用時の電力)
  • 小売・流通:カテゴリ1(商品)+カテゴリ4(物流)+カテゴリ11(商品使用)

業種特性を踏まえたカテゴリ別の優先順位付けが、Scope 3算定の質を決める。

13. M&A・事業再編における論点

M&Aの局面でも、Scope 3の論点が重要になっている。

  • 買収対象企業のScope 3 DD:買収後の連結Scope 3への影響、データ取得可能性
  • カーブアウト:分離後の事業のScope 3境界線変更、サプライヤー契約の引継ぎ
  • JV・合弁:共同事業のScope 3配分(PCAF的アプローチ)
  • 金融機関のカテゴリ15:投融資先の脱炭素軌道、PCAF認証ファンド

とくにファンドのカーボン会計(PCAF)は、金融機関のサステナビリティーDDで必須項目化しつつある。

14. 削減への接続

Scope 3算定の最終目的は、開示そのものではなく削減。1次データ活用が定着すれば、次は実際の削減アクションに移行する。

主な削減レバー

  • サプライヤー選定:低炭素サプライヤーへの調達シフト
  • 製品設計:ライフサイクル排出量を考慮したエコデザイン
  • 製品使用段階の効率化:エネルギー効率の高い製品開発(カテゴリ11削減)
  • 循環経済:リサイクル材使用、製品の長寿命化(カテゴリ1・12削減)
  • 事業ポートフォリオの転換:高排出セクターからの撤退、低排出事業への投資

これらは個別の機能部門(調達、R&D、製造、IR)に閉じず、全社統合の脱炭素戦略として組み立てる必要がある。

こんなときに、Sasla

・Scope 3 15カテゴリの自社における優先順位付けで、業界経験者の感覚値が欲しい
・1次データ活用への移行戦略、サプライヤーエンゲージメント設計のレビュー
・SBT認定取得、SBTサプライヤーエンゲージメント目標の実装支援
・SSBJ・CSRD・CDP対応のScope 3開示設計、データ品質向上、保証取得準備
・カーボン会計プラットフォーム選定(Persefoni、Watershed、アスエネ等)
・M&A・カーブアウトでのScope 3境界線設計、買収後の連結排出量への影響評価

Saslaには、サステナビリティー部門出身のScope 3実務担当、コンサルティングファームのGHG算定専門家、業種別の調達・サプライチェーン経験者、監査法人の保証業務担当、PCAFやSBT-FI実務者が業界横断で登録しています。1時間のスポットインタビューから本格的なリサーチ・伴走支援まで、フェーズと予算に応じて活用可能です。

専門家に相談する →

15. Scope 3は「サプライチェーン経営」への扉

Scope 3排出量の算定は、単独の数値開示ではなくサプライチェーン全体の経営課題。サプライヤーとの関係を再設計し、購買・調達戦略を脱炭素軸で再構築する起点になる。

2027年3月期のSSBJ義務化、2028年事業年度のCSRD(Article 40a)適用——複数の規制が同期して、Scope 3算定の質を引き上げる。データ取得の自動化、サプライヤーエンゲージメントの仕組み化、削減アクションへの接続——これら一連の能力は、規制対応コストではなく、グローバル投資家・取引先・人材の信頼を支える経営基盤になる。早く動いた企業ほど、サプライヤーとの長期関係、業界共通の標準データ基盤、業界別の削減ノウハウという、模倣困難な資産を蓄積できる。

出典・参考資料

本稿は、以下の一次資料・公的資料をもとに整理した。制度内容・統計値は各時点の公表値であり、最新の改正・更新で変わりうる。