TCFD・ISSB・SSBJCSRDのESRS——主要なサステナビリティ開示基準はいずれも、Scope 3排出量(自社のScope 1・2を除く、サプライチェーン全体の間接排出)の開示を求めるようになった。日本企業の多くはScope 1・2の算定をほぼ定常化させたが、Scope 3は「業界平均値(2次データ)で総量をはじくだけで精一杯」という段階にとどまる。だが論点は、もう「Scope 3を出すか出さないか」ではない。どこまで一次データで精緻化し、その投資をどの目標体系に合わせて設計するかに移っている。やっかいなのは、その目標体系自体が動いていることだ。SBTiは2026年にCorporate Net-Zero Standardを大きく改定し、長くScope 3実務の前提だった「カバレッジ67%」「サプライヤーエンゲージメント目標」の置き方が見直されつつある。本稿はGHG Protocol Scope 3 Standard、環境省・経済産業省「サプライチェーンを通じた温室効果ガス排出量算定に関する基本ガイドライン」(ver.2.7、2025年3月)、同「1次データを活用したサプライチェーン排出量算定ガイド」(2025年3月)を一次資料に、15カテゴリの全体像から、一次データ移行で実際につまずく箇所、目標・保証・サプライヤー実務までを、制度の変化を織り込んで整理する。

1. なぜScope 3が主戦場になったのか

GHG Protocol(World Resources Institute と World Business Council for Sustainable Developmentの共同開発)は、企業の温室効果ガス排出をScope 1(自社の直接排出)、Scope 2(購入した電気・熱・蒸気に伴う間接排出)、Scope 3(それ以外のサプライチェーン上流・下流の間接排出)の3つに区分する。多くの企業ではScope 3がScope 1・2を大きく上回る規模になり、製造業では購入した製品・サービス(カテゴリ1)、自動車や建設機械では製品の使用段階(カテゴリ11)、金融では投融資先(カテゴリ15)が排出の大半を占めることが多い。自社の工場をいくら磨いても全体像の一部しか動かせない——この一点が、Scope 3を避けて「脱炭素」を語れなくした理由である。

Scope 3は性質の異なる15のカテゴリに分かれる。すべてを同じ精度で追う必要はなく、自社にとって排出が大きい「マテリアルなカテゴリ」を見極め、そこから精緻化するのが現実解だ。全体像の地図として、15カテゴリを掲げておく。

Scope 3の15カテゴリ(GHG Protocol標準分類)

上流(8カテゴリ) 1. 購入した製品・サービス/2. 資本財/3. Scope 1・2に含まれない燃料・エネルギー活動/4. 上流の輸送・配送/5. 事業から出る廃棄物/6. 出張/7. 雇用者の通勤/8. 上流のリース資産

下流(7カテゴリ) 9. 下流の輸送・配送/10. 販売した製品の加工/11. 販売した製品の使用/12. 販売した製品の廃棄/13. 下流のリース資産/14. フランチャイズ/15. 投資

2. 2次データから1次データへ — 移行で実際につまずく場所

算定の基本は単純で、カテゴリごとに「活動量×排出原単位」を積み上げる。購入金額・輸送距離・廃棄物量といった活動量に、単位あたりCO2の原単位を掛ける。問題は原単位の出どころだ。業界平均値やIDEA等の2次データは自社で取得する手間がない反面、サプライヤーがどれだけ排出を減らしても自社のScope 3は1ミリも動かない。極端に言えば、2次データの世界では削減手段が「調達量を減らす」しかなくなる。環境省が2025年3月に「1次データを活用したサプライチェーン排出量算定ガイド」(Ver1.0)を出し、「削減努力が反映されるScope 3算定」への転換を掲げたのは、この袋小路を抜けるためだ。

一次データには、サプライヤーが製品ごとに算定するカーボンフットプリント(製品ベース=CFP)と、サプライヤーの事業者全体のScope 1・2・3を購入金額按分などで配分する組織ベースの二つがある。ただ「一次データに替えれば精度が上がる」と単純化すると、現場では次の落とし穴に落ちる。

第一に、組織ベースの按分は2次データの粒度問題を内側に抱えたままだ。サプライヤー全体の排出を売上按分で割り付けても、自社が買っている品目の実際の排出を表しているとは限らない。第二に、製品ベースCFPは方法論が揃わないと足し合わせられない。算定境界やアロケーション規則が供給元ごとに違えば、単純合算は意味をなさない。第三に、上流のCFPと自社の活動量を混在させると二重計上が起きやすい。そして第四に、見落とされがちだが最も実務を悩ませるのが基準年の再計算である。2次データから一次データへ切り替えた年は、削減していないのに数字が大きく動く。GHG Protocolの再計算ポリシーに沿って基準年を引き直さないと、前年比やSBTの進捗管理が連続性を失う。一次データ化は「精度向上」であると同時に「目標管理の作り直し」でもある、という認識が要る。

3. SBTとの連動 — 依拠する要件が組み替わっている

SBT(Science Based Targets)認定では、Scope 3も目標の射程に入る。従来のCorporate Net-Zero Standard(V1)の要件は、しばしば誤って引用されるので正確に押さえておきたい。Scope 3がScope 1+2+3合計の40%を超える企業は、Scope 3総排出の67%以上をカバーする近接目標の設定が必須——「40%」はカテゴリ単位の閾値ではなく、目標設定が必要かどうかを判定するトリガーであり、「67%」はカバーすべき範囲を指す。これと別に、購入物品が支出ベース・平均値依存の企業向けに、主要サプライヤーが5年以内に自らSBTを設定することを促すサプライヤーエンゲージメント目標があった。この目標は「主要サプライヤーの何割が」という比率で語られることが多く、Scope 3全体のカバレッジ要件(67%)と混同して引用されやすい。両者は別概念だと押さえておきたい。

そして重要なのは、この枠組み自体が固定ではない点だ。SBTiは2026年にCorporate Net-Zero Standardを改定(V2)し、パーセンテージで線を引く67%・40%の置き方や、サプライヤーエンゲージメント目標の扱いが、ネットゼロ整合の考え方へと組み替えられつつある。V1の数値KPIに最適化して算定・データ収集の仕組みを作り込むと、移行期に手戻りが出やすい。いま一次データ基盤に投資するなら、特定の閾値に専用化しすぎず、「カテゴリ別の排出を継続的に・検証可能な形で取れる」汎用的な土台に寄せておくのが賢い。最新の基準・ガイダンスは必ずSBTi本体で確認したい。

4. データをどう流すか — 交換基盤の現在地

一次データは、自社が頼めば集まるものではない。企業間でCO2データを同じ規格で受け渡す仕組みが要る。横断的な土台としては、WBCSDのPACT(Partnership for Carbon Transparency)が算定方法論(Pathfinder Framework)とデータ交換の技術要件を定め、日本ではGreen×Digitalコンソーシアム(JEITA事務局)がこれと整合する「CO2可視化フレームワーク」をまとめ、エレクトロニクス業界を中心に実装が進む。

業界ごとの動きも具体化している。自動車では欧州発のCatena-Xが製品カーボンフットプリントの交換規格を整備し、北米ではAIAG(米国自動車産業協会)がそのハブ役を担う形で2025年に展開が始まった。化学では調達イニシアチブのTogether for Sustainability(TfS)がPCF算定ガイドラインを持ち、食品・農業ではCool Farm AllianceやCarbonCloudのような農産物フットプリント算定の基盤が使われる。金融のカテゴリ15は事情が特殊で、投融資先の排出を測るPCAF(Partnership for Carbon Accounting Financials)の標準が事実上の共通言語になっている。注意したいのは、方法論が整っていても交換プロトコルが相互に繋がるとは限らないことだ。「どの規格に乗るか」は、主要顧客・主要サプライヤーがどこにいるかで決まる、きわめて実務的な選択になる。

5. 保証の現実 — 「一次データ=高品質」ではない

SSBJの第三者保証義務化やCSRDの保証要求により、Scope 3はデータ品質チェックの対象になる。GHG Protocolはデータ品質を地理的代表性・技術的代表性・時間的代表性・完全性・信頼性の5つで評価するが、現場で効いてくるのは最後の「信頼性=検証可能性」だ。サプライヤーから受け取った一次データが、必ずしも業界平均値より検証しやすいとは限らない。算定の前提も証跡もサプライヤー側にあり、自社の監査人がたどれないなら、限定的保証から合理的保証へ進む壁になる。一次データ化を進めるときは、数値そのものより「どう算定され、どこに証跡があるか」を取得プロセスに組み込んでおくことが、後の保証取得を左右する。

6. 開示基準ごとの温度差

同じScope 3でも、基準によって要求の強さが違う。TCFDは「指標と目標」での開示を推奨する任意項目だったが、その性格はISSB以降に変わった。ISSB S2はマテリアルなScope 3カテゴリの開示を求め(初年度の移行措置あり)、これと整合するSSBJ気候基準は原則開示の枠組みに格上げした。日本では時価総額3兆円以上のプライム上場企業が2027年3月期から義務化され、以降、対象が段階的に広がる。CSRDのESRS E1はScope 1・2・3すべての絶対量に加え移行計画まで求め、CDP気候変動質問書はカテゴリ別の数値(C6.5)を問う。要するに、「データがないから出さない」という言い分が通る時代は終わりつつある。

7. サプライヤーエンゲージメントの実務

Scope 3精緻化でもっとも負荷が高いのは、サプライヤーへのデータ提供依頼だ。まず購入金額や排出量の大きい主要サプライヤーに集中する——少数の取引先に排出が偏ることが多く、上位から押さえるのが定石である。そのうえで、質問票・計算ロジック・提出フォーマットを揃え、削減目標や技術支援、グリーン調達契約まで含めた継続的な関係に育てる。単独企業で抱え込まず、業界団体での共同要請に乗せられるかも成否を分ける。

ここで踏み外しやすいのが中小・地方のサプライヤーへの向き合い方だ。「データを出さなければ取引終了」という強硬姿勢は、サプライチェーンそのものを脆くし、社会的な批判も招く。算定ツールの提供、勉強会、相談窓口といった能力構築の支援をセットにし、サプライヤーが自走できるエコシステムを設計するほうが、結局は質の高いデータが長く集まる。アパレルや食品のように一次産品まで遡るサプライチェーンでは、この配慮の有無が数年後のデータ網羅率に効いてくる。

8. 算定の先にある「削減」と経営

Scope 3算定の目的は開示ではなく削減だ。レバーは、低炭素サプライヤーへの調達シフト、ライフサイクルを見据えたエコデザイン、使用段階の効率化(カテゴリ11)、リサイクル材活用や長寿命化(カテゴリ1・12)、そして高排出事業からの撤退といった事業ポートフォリオの組み替えまで及ぶ。いずれも調達・R&D・製造・IRのどれか一部門では完結せず、全社の脱炭素戦略として束ねる必要がある。

M&Aの局面でも論点になる。買収対象の連結Scope 3への影響やデータ取得可能性、カーブアウト後の境界線変更とサプライヤー契約の引き継ぎ、合弁での排出配分、そして金融機関なら投融資先の脱炭素軌道(PCAF)——いずれもサステナビリティーDDの確認項目に組み込まれつつある。

こんなときに、Sasla

・Scope 3 15カテゴリの自社における優先順位付けで、業界経験者の感覚値が欲しい
・1次データ活用への移行戦略、サプライヤーエンゲージメント設計のレビュー
・SBT認定取得、SBTi基準改定(V2)を見据えた目標・データ基盤の設計
・SSBJ・CSRD・CDP対応のScope 3開示設計、データ品質向上、保証取得準備
・カーボン会計プラットフォーム選定(Persefoni、Watershed、アスエネ等)
・M&A・カーブアウトでのScope 3境界線設計、買収後の連結排出量への影響評価

Saslaには、サステナビリティー部門出身のScope 3実務担当、コンサルティングファームのGHG算定専門家、業種別の調達・サプライチェーン経験者、監査法人の保証業務担当、PCAFやSBT-FI実務者が業界横断で登録しています。1時間のスポットインタビューから本格的なリサーチ・伴走支援まで、フェーズと予算に応じて活用可能です。

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Scope 3排出量の算定は、単発の数値開示ではなくサプライチェーン全体の経営課題だ。2027年3月期のSSBJ義務化(時価総額3兆円以上から段階適用)、2028事業年度のCSRD(第三国親会社のArticle 40a)と、複数の規制が同期して算定の質を引き上げていく。データ取得の自動化、サプライヤーエンゲージメントの仕組み化、削減アクションへの接続——この一連の能力は、規制対応コストではなく、投資家・取引先・人材の信頼を支える経営基盤になる。基準が動くいまだからこそ、特定のKPIに張るのではなく、検証可能な一次データを継続的に取れる土台を先に作った企業が、模倣されにくい資産を積み上げる。

出典・参考資料

本稿は、以下の一次資料・公的資料をもとに整理した。制度内容・統計値は各時点の公表値であり、最新の改正・更新で変わりうる。とくにSBTiのCorporate Net-Zero Standardは改定が進行中のため、適用時は必ず最新版を確認されたい。