2025年5月に改正GX推進法が成立し、2026年4月からGX-ETS(排出量取引制度)の第2フェーズが本格稼働している。日本のCO2直接排出量が前年度までの3年度平均で10万トン以上の事業者——対象は300〜400社程度、温室効果ガス排出量カバー率は約60%に達する——が、排出枠保有を義務化された。これは、2023年4月から自主参加で試行されてきたGXリーグの仕組みを、法的拘束力を持つ制度に格上げするものだ。本稿では、産業構造審議会 排出量取引制度小委員会の「中間整理(案)」(2025年12月)、「排出量取引制度の詳細設計に向けた検討方針」(2025年7月)等の経産省一次資料、内閣官房「GX実現に向けたカーボンプライシング専門WG」資料を踏まえ、GX-ETS、J-クレジット、ボランタリー市場の3つの市場の構造、対象企業の論点、価格安定化措置、登録確認機関、そして企業の戦略的論点を整理する。

1. 成長志向型カーボンプライシング構想 — 3つの柱

日本のカーボンプライシング政策は、2022年12月閣議決定の「成長志向型カーボンプライシング構想」を起点として、10年間で150兆円超の官民GX投資を実現することを目標に組み立てられている。3つの柱を持つ。

成長志向型カーボンプライシング構想の3本柱

① GX経済移行債を活用した先行投資支援(10年間で20兆円規模
② カーボンプライシングによるGX投資先行インセンティブ
  ・化石燃料賦課金:2028年度から導入
  ・排出量取引制度:2023年度GXリーグで試行、2026年度から本格稼働
  ・2033年度から発電事業者に有償オークションを段階導入
③ 新たな金融手法の活用:トランジション・ファイナンスの推進、GX推進機構による債務保証等

「投資先行→将来財源として回収」というシークエンスがこの構想の特徴である。GX移行債で先行投資を支援し、カーボンプライシング(賦課金+ETS)の収入で順次返済していく設計だ。投資側と回収側のリンクを明示的に持つ点が、欧州ETSと比較しても日本独自の制度設計である。

2. GX-ETSの段階的発展 — 3つのフェーズ

GX-ETSは、自主から義務へ、緩やかから厳格へ、段階的に進化する仕組みとして設計されている。

GX-ETSの3フェーズ

第1フェーズ(2023.4〜):GXリーグ自主参加の試行的取組。参加企業の温室効果ガス排出量は日本の5割超。参加・目標設定・目標達成すべて自主。
第2フェーズ(2026年度〜):直接排出10万トン以上の事業者を対象に義務化。政府が定める基準に従って割当量を算定。排出実績と等量の排出枠の保有を義務化。
第3フェーズ(2033年度〜):発電部門の対策強化、段階的な有償オークションの導入。

第1フェーズには2024年度時点で747社が参画。この実績データをベースに、業種別のベンチマーク(後述)を設計している点が、いきなり義務化に踏み切るEU/英国のETSとは異なる、漸進的な制度設計だ。

3. 対象企業と国際比較

対象企業の絞り込みは、各国制度ごとに「設備単位」と「事業者単位」の違いがある。日本は事業者単位、EU/英国は設備単位、韓国は事業者単位(直接+間接)と、設計思想が分かれる。

各国排出量取引制度における制度対象の概要

EU・英国:設備単位、おおむね2.5万t-CO2以上(直接排出)。定格入力20MW以上の燃焼設備等を指定
韓国:事業者単位、12.5万t-CO2以上(直接+間接排出合計)
日本(GX-ETS):事業者単位、10万t-CO2以上(直接排出)。直接間接合計では9万t程度に相当
・対象事業者数:300〜400社程度
・カバー率:日本の温室効果ガス排出量の約60%

制度設計上重要なのは、省エネ法・温対法との整合性を取りつつ、諸外国制度と同程度の排出源を捕捉するという二重制約のもとで「事業者単位+直接排出10万トン」が選ばれた点。SHK(温対法)の特定事業所のうち、直接排出2.5万トンに相当する事業所を保有する企業の標準的直接排出量は約9.5万トン、これがほぼ捕捉される設計である。

4. 割当方式 — ベンチマークとグランドファザリング

排出枠の割当は、業種特性に応じて2方式を使い分ける。

ベンチマーク方式(エネルギー多消費業種中心)

業種ごとに、各社の製品生産量あたりの排出原単位を比較し、同業種内の上位X%水準をベンチマークとして設定。これに各社の基準活動量(制度開始直前3年度(2023〜2025年度)の生産量等平均)を乗じて、各社の割当量を算定する。

計算式:割当量 = 基準活動量 × 各年度の目指すべき排出原単位

WGで検討する対象業種:石油精製、鉄鋼、化学(石油化学、ソーダ、カーボンブラック)、紙パルプ、セメント、石灰製造、アルミ、ゴム製品、板ガラス、ガラスびん、自動車。発電部門は別WGで検討。

グランドファザリング方式(ベンチマーク設定困難な業種)

過去の排出実績を基準に、毎年度一定比率で割当量が減少する方式。基準排出量(同じく直前3年度平均)に削減率を乗じて算定する。

計算式:割当量 = 基準排出量 × (1 − 目指すべき削減率 × 基準からの経過年数)

ベンチマーク水準・削減率は毎年度段階的に引き下げ、割当基準を強化していく仕組みになっている。これにより、企業のGX投資インセンティブを継続的に維持する設計だ。

ベンチマーク方式は「同業他社との比較で効率の良い企業が報われる」、グランドファザリング方式は「過去から一律で削減する」。どちらが当たるかで、企業の排出削減戦略は大きく変わる。

5. 価格安定化措置 — 上下限価格とリバースオークション

排出枠取引市場の運営は、GX推進機構が担う。価格が極端に振れて事業活動に支障が出ないよう、政府が毎年度上下限価格を設定する。改正GX推進法には「参考上限取引価格」と「調整基準取引価格」の規定が組み込まれている。

価格高騰時の措置

排出枠価格の高騰等により義務履行に支障が生じる状況として大臣が告示した場合、排出枠が不足する事業者は上限価格 × 不足分の支払いによって義務を履行したものとみなされる。これにより、排出枠価格が事業継続を脅かすレベルまで上昇するリスクを抑える。

価格低迷時の措置

一定期間以上、市場価格が下限を下回って低迷する場合、GX推進機構を通じてリバースオークションを行い、排出枠の流通量を調整。同時に割当基準の強化を検討する。

不履行時のペナルティ

保有義務の未履行分について、上限価格の1.1倍の支払いを求める。参考として、EU ETSの排出枠価格は2023年に年間平均€84/t、2024年は€65/t水準(不履行時のペナルティはこれに加え€100/t超)。日本の上限価格水準は、対象事業者の経営に与える影響と削減投資インセンティブを両立する観点から、今後の制度運用で具体化される。

6. 算定・確認・登録確認機関

算定方法

燃料使用量等の把握に当たって使用する計測機器の精度について、GXリーグ算定ルールを踏襲した目指すべき水準が定められている。例えば液体燃料の使用では、年間5,000kl以上は±2.0%以内、500kl以上5,000kl未満は±3.5%以内、500kl未満は±5.0%以内。電力は9,000万kWh以上で±1.0%以内と、規模に応じて要求精度が変動する。

登録確認機関制度

制度対象事業者は、①排出枠割当の基礎となる排出目標量の届出、②保有義務量確定の基礎となる排出実績量の報告、いずれも登録確認機関の確認を受けなければならない。第三者検証の仕組みを制度化した形だ。

  • 登録確認機関になろうとする者は、事前に経産大臣への登録申請が必要
  • 登録は5年ごとに更新
  • 大臣は報告徴収等を通じて業務状況を確認、必要な場合には適合命令・改善命令

登録確認機関には、温室効果ガス審査協会の既存機関に加え、公認会計士協会・監査法人系の新規参入も見込まれる。日本公認会計士協会は第1回小委員会にオブザーバーとして参加している。

7. 移行計画の策定義務

対象企業には、2050年カーボンニュートラル実現に向けた排出削減目標等を含む移行計画の策定・提出が義務付けられる。2030年度の直接・間接排出削減目標等の中長期的な排出量の見通しは、国が集計・公表する。

これは単なる開示要件ではなく、カーボンプライシング負担と移行戦略との整合性を投資家・取引先・規制当局が検証可能にする仕組みである。TCFD/ISSB S2の「移行計画」開示要件とも連動し、ESG投資の評価軸に直結する。

8. 活動量変動への対応 — 経済成長へのディスインセンティブを避ける

排出量取引制度の重要な論点が「成長企業が罰される設計にしない」点。生産量が増えれば排出量も増えるため、活動量増加にペナルティが付くと、経済成長を抑制する制度になってしまう。

経産省の事務局案では、製造業の設備稼働率変動の通常範囲(前年比±7.5%)を統計的に分析し、これを超える活動量変動が生じた場合に限って割当量を調整する方針が示されている。リーマンショックやコロナ禍のような特異な年を除けば、±7.5%が通常の変動の範囲という統計的根拠に基づく設計だ。

9. J-クレジット制度との接続

GX-ETS とは別系統で運用されているJ-クレジット制度(国内の温室効果ガス削減・吸収量を国が認証)は、GX-ETSの排出枠保有義務の履行に活用できる仕組みとなっている。

J-クレジット制度の認証量(J-クレジット制度事務局データ集 2025年5月版より)

累計認証量は2024年10月時点で約1,103万tCO2。森林経営活動が9.6%(約105万tCO2)を占める。
内訳カテゴリー:再エネ電力・再エネ熱、省エネ、森林経営、その他工業プロセス・農業等
直近では森林クレジットの認証量が急増。地方林業との接続点として注目される。

森林クレジットの拡大は、地方創生・林業活性化との接続点として注目される。一方、需要側(クレジット購入企業)は、SBT認定の信頼性確保のため、削減目標達成におけるクレジット活用比率の上限(10%ルール等)を意識する必要がある。

10. ボランタリー市場との関係

GX-ETSとJ-クレジットは国内・公的市場だが、企業のカーボンニュートラル目標達成には、ボランタリー市場(Verra、Gold Standard、ACR、CAR等)のクレジットも併用される。

主要ボランタリー基準

  • Verra(VCS:Verified Carbon Standard):世界最大の基準。発行クレジット数で過半を占める
  • Gold Standard:WWFが立ち上げ。SDGsとの連動を重視
  • ACR(American Carbon Registry):米国系
  • CAR(Climate Action Reserve):北米系

クオリティ論点 — 「ジャンクレジット」問題

2023年以降、ボランタリー市場では森林・REDD+クレジットの環境健全性を巡る批判が続いている。追加性(クレジット販売がなければ実施されない削減か)、永続性(吸収した炭素が長期に維持されるか)、リーケージ(他地域への排出移転がないか)の3点が常に問われる。ICVCM(Integrity Council for the Voluntary Carbon Market)のCCP(Core Carbon Principles)認証など、品質を保証する第三者基準も整備中。

「とにかく安いクレジットを買えば良い」という時代は終わった。出所、追加性、検証プロセスを社内で説明できないクレジットは、評判リスクの源泉になる。

11. 企業の戦略的論点

制度が動き出した今、企業に求められる対応を5つの論点で整理する。

論点① 対象判定とガバナンス体制

まず自社がGX-ETS対象企業に該当するかの判定。グループ会社の排出量と密接な関係にある子会社の扱いを含めて、対象判定の境界線を社内で確定する必要がある。経営企画・サステナビリティ・経理・法務を巻き込んだ横串プロジェクトとして立ち上げるのが現実解。

論点② ベンチマーク交渉と業界WG参画

業種別ベンチマーク水準は、産業構造審議会のWGで検討中。業界団体経由でWGに意見を出すことで、自社の競争ポジションに有利なベンチマーク設計を引き出せる可能性がある。特に、業種内で排出原単位の高い企業は、移行期間や減免措置の議論で発言権を確保することが重要。

論点③ 排出枠取引市場での運用方針

排出枠を「足りない時に買う」のか「余った時に売る」のか、あるいは「先物・オプションでヘッジする」のか。取引業者(カーボンクレジットの取引経験を有する者)の市場参加が認められているため、商社・金融機関を活用した取引戦略の選択肢も広がる。排出枠を金融商品として扱う視点が、企業の財務部門にとって新しい論点となる。

論点④ クレジット調達戦略

J-クレジット、ボランタリー市場、海外規制下のクレジット(パリ協定6条2項)など、複数ソースからの調達ポートフォリオをどう組むか。価格、品質、SBT認定での扱い、SBT削減目標との関係、レピュテーションリスクの観点で評価軸を設計する必要がある。

論点⑤ 移行計画とコーポレートPPA・GX投資

排出枠を買い続けるよりも、自社で削減するほうが長期的にコスト効率が高い場合が多い。再エネのコーポレートPPA、省エネ設備投資、サプライチェーンScope 3削減への投資。GX経済移行債20兆円の支援メニューと連携することで、移行コストの実質負担を抑えられる。

12. M&Aにおけるカーボン会計の論点

GX-ETS対象企業のM&Aでは、カーボン会計が新たなDD項目として組み込まれる。買収候補の現在の排出枠保有状況、ベンチマーク方式適用見込み、不履行リスクは、将来キャッシュフローを直接左右する。とくに2030年に向けて割当基準が段階的に強化される設計のため、「現時点で適合していても2028〜2030年に不足する」シナリオの試算が必須となる。

逆に、排出効率の良い事業や、J-クレジット創出能力のある事業(森林保有、再エネ発電所、省エネ設備)は、カーボン資産として再評価される。事業ポートフォリオの組み換えで、カーボン制約のもとでのROIC最大化を目指す動きが、すでに大手企業で始まっている。

13. 今後の論点 — 2028年・2033年に向けて

2026年度の制度開始は出発点に過ぎない。次の節目は2028年度の化石燃料賦課金導入と、2033年度の発電部門有償オークション導入である。

  • 化石燃料賦課金(2028年〜):化石燃料の輸入・採取段階で課税。電力・ガス料金や燃料価格に転嫁され、消費者・産業界全体に波及
  • 発電有償オークション(2033年〜):発電事業者の排出枠を有償化。電力卸価格に直接転嫁され、需要家の電力コストに影響

これら2つは、対象企業以外の事業者にとっても、コスト構造の長期的な見通しに影響を与える。「GX-ETS対象外だから関係ない」では済まないのが、カーボンプライシング政策の本質である。

こんなときに、Sasla

・GX-ETS対象企業に該当するか、グループ会社・子会社の扱いを含めて整理したい
・業種別ベンチマーク設計のWG動向や、業界団体経由の意見提出戦略を相談したい
・排出枠取引市場での運用方針(買い・売り・ヘッジ)、商社・金融機関の活用について実務者の視点を聞きたい
・J-クレジット、ボランタリー市場、パリ協定6条のクレジット調達ポートフォリオを設計したい
・M&AでカーボンDDをどう組み込むか、業界経験者と論点整理したい
・移行計画の策定で、GX移行債との連携を含めた投資計画を立てたい

Saslaには、サステナブルファイナンス、カーボン会計、エネルギー金融、商社系カーボン取引、コンサルティングファームの GX戦略担当者など、業界横断のサステナビリティー専門家が登録しています。1時間のスポットインタビューから本格的なリサーチ・伴走支援まで、フェーズと予算に応じて活用可能です。

14. カーボンプライシングは「経営の前提条件」へ

2026年4月の本格稼働は、日本企業にとってカーボンを「外部性」から「内部コスト」へと取り込む分岐点である。EUのETS(EU-ETS)が始まったのは2005年。20年遅れての日本の本格稼働は、その間に蓄積された欧州の運用経験を参照できる利点はあるが、すでにグローバル市場ではカーボン管理能力が事業競争力の前提となっている厳しい現実もある。

第2フェーズの3年間(2026〜2028年度)は、企業が制度に慣れる移行期間でもある。この間に体制とデータ基盤、社内KPI、投資判断ロジックを整えることが、2030年以降のより厳しいフェーズで競争優位を生む。早期に動いた企業ほど、排出効率改善、クレジット創出能力、低炭素技術への投資という、模倣困難な資産を蓄積できる。