2026年1月、EUのCBAM(Carbon Border Adjustment Mechanism、炭素国境調整措置)が本格運用フェーズに入った。Regulation (EU) 2023/956は、EU域外で生産された鉄鋼・アルミ・セメント・肥料・電力・水素の6セクターについて、EU域内生産品と同等の炭素コストを輸入時に負担させる仕組みである。2023年10月から始まった移行期間(reporting only)が終了し、2027年2月からはCBAM証書の購入義務が発生する。2025年10月にはOmnibus簡素化規則(EU 2025/2083)が官報掲載され、年間50トン以下の輸入者が完全免除されるなど、運用調整も並行する。本稿では、EU公式資料(CBAM Regulation 2023/956、EU Commission CBAM Implementing Regulations)、ICAP(International Carbon Action Partnership)の分析、経団連の対応提言を踏まえ、CBAMの全体構造、Omnibus簡素化のインパクト、デフォルト値の論点、日本企業の対応戦略を包括整理する。

1. なぜCBAMか — EU ETSとカーボンリーケージ

CBAMの根底にあるのは、EU ETS(排出量取引制度)の整合性問題。EU域内の排出多企業はETSで炭素コストを負担するが、域外の輸入品は同等コストを負わないため、生産が域外に流出する「カーボンリーケージ」が懸念されてきた。CBAMはETS価格をEU域外からの輸入品にも適用することで、競争条件の同等化と域外の脱炭素を促す2つの目的を持つ。

CBAMの政策目的

① 競争条件の同等化(Level Playing Field):EU域内のETS対象産業と域外輸入品の炭素コスト負担を一致させる
② 域外の脱炭素誘発(Carbon Leakage Prevention):第三国の生産拠点もEU市場アクセスのため低炭素化を進めるインセンティブ
③ ETSフリーアロケーションの段階廃止:CBAM導入に合わせて、ETSの無償割当を2026〜2034年で段階廃止

つまりCBAMは単独の関税ではなく、EUの気候政策パッケージ(European Green Deal、Fit for 55)の一部として、ETSと連動する仕組み。日本企業から見れば「EU市場で売る限り、EU水準の炭素コストを払う」というシンプルな構造である。

2. 対象6セクター — 鉄鋼・アルミから水素まで

CBAM対象セクター(2026年〜)

① 鉄鋼(Iron and Steel):CNコード72・73類の主要製品
② アルミニウム(Aluminium):CNコード76類
③ セメント(Cement):CNコード2523
④ 肥料(Fertilizers):窒素肥料中心
⑤ 電力(Electricity):EU加盟国への系統連系経由の輸入
⑥ 水素(Hydrogen):当初から対象6品目の一つ(2023年10月の移行期間開始時から報告対象)

これら6セクターはEU ETSの主要対象産業であり、かつ国際取引が活発でカーボンリーケージリスクが高いセクターとして選定された。有機化学品、プラスチック、有機・無機酸などは2030年代の追加対象として議論が進む。

日本からの主要輸出品

日本企業が直接影響を受けるのは、特に鉄鋼・アルミの高機能製品。日本鉄鋼連盟の貿易統計では、鉄鋼の輸出額は2023年で4〜5兆円規模に達し、自動車・自動車部品など間接輸出も含めるとEU向けの量はさらに大きい。電磁鋼板、高張力鋼板など高品質鋼材を扱う日本鉄鋼大手にとって、CBAM対応はEU市場アクセスの前提条件になる。

3. 運用フェーズ — 移行期間から本格運用まで

CBAMの運用タイムライン

第1フェーズ:移行期間(Transitional Period) 2023年10月〜2025年12月
・四半期ごとのCBAM Report提出義務(reporting only)
・実排出量データの報告、デフォルト値も併用可
・証書購入は不要

第2フェーズ:本格運用(Definitive Period) 2026年1月〜
2026年1月1日:本格運用開始
・2026年内の輸入分について申告義務
2027年2月1日:CBAM証書の販売開始
2027年9月30日:2026年実績の年次申告期限(証書消却)
・以降、毎年9月末までに前年実績を申告

移行期間で蓄積された実排出量データと運用経験を基に、本格運用期では輸入者の認可制(Authorised CBAM Declarant)と証書の購入・消却が始まる。証書価格はEU ETSの平均価格に連動して毎週更新される設計。

4. Omnibus簡素化 — 2025年10月の重要変更

EU委員会は2025年2月のOmnibus提案を経て、2025年10月にCBAM簡素化規則(Regulation EU 2025/2083)を採択。10月20日に官報掲載され、運用緩和の核を成す。

Omnibus簡素化の主要内容

① 50トン閾値の導入
年間累計純重量50トン以下の輸入者は、すべての義務(申告・認可・証書購入)から完全免除(ただし水素・電力はこのde minimis免除の対象外)。欧州委員会によれば、本閾値で輸入者の約9割が義務免除となる一方、CBAM対象排出量の99%超は引き続きカバーされる。

② 認可Declarant制度の簡素化
認可申請プロセスの簡略化、必要書類の削減

③ デフォルト値の活用拡大
第三国生産設備のデータ取得困難な場合、デフォルト値(EU公表)を使用できる範囲を拡大。報告負担軽減

④ 集計・報告の柔軟性
グループ会社レベルでの一括申告など、報告単位の柔軟化

⑤ 証書購入タイミングの遅延
CBAM証書販売開始:2026年1月 → 2027年2月へ後ろ倒し
年次申告期限:2026年5月 → 2027年9月30日へ後ろ倒し

Omnibus簡素化はEUの競争力強化策の一部として位置付けられ、CSRD・CSDDDの簡素化と並ぶ規制負担軽減のパッケージ。日本企業から見ると準備期間が約1年延びた形で、戦略立案に時間的余裕ができた。

5. デフォルト値(Default Values)の論点

CBAM対象品の実排出量(Embedded Emissions)を申告するのが原則だが、第三国生産設備の実データ取得は容易ではない。EU委員会は2025年12月にImplementing Regulation (EU) 2025/2621を公表し、国別・製品別のデフォルト値(Annex I)を定めた(影響評価=IAは別途同年12月に公表)。

デフォルト値の算出方法

  • 各輸出国の鉄鋼・アルミ等の平均排出原単位を算出
  • データが信頼できない国は、世界上位10位の高排出国の平均値(地域調整あり)を使用
  • EU IR 2025/2621のAnnex Iに国別・製品別の値を収録

日本のポジション

経団連は2025年6月、CBAM対応の懸念事項を公表。WTO適合性、デフォルト値算出の透明性、日本のGX-ETSとの相互認証などの論点を提起している。日本の高効率設備の鉄鋼・アルミ生産は世界平均より排出原単位が低いため、実データ申告のメリットが大きい。

6. CBAM証書とコスト計算

CBAM証書はEU ETSの週次平均価格に連動。輸入者は対象品の埋め込み排出量(t-CO2)× 証書価格(€/t-CO2)を、域外で既に支払った炭素コスト(CO2税、ETS等)を差し引いて、CBAM証書を購入・消却する。

CBAM証書購入額の計算式

CBAM証書購入額 = (対象品の輸入量 × 埋め込み排出原単位 − ETS無償割当相当) × CBAM証書価格 − 域外で支払った炭素コスト

*EU ETS無償割当はCBAM対象品について段階廃止(2026年〜2034年)
*域外で支払った炭素コスト=GX-ETSやJ-クレジット、欧米の同等制度等で支払った金額

日本のGX-ETSが2026年4月本格稼働で、日本企業は国内でも炭素コストを負担する。CBAMの控除額としてGX-ETS支払額が認められるかは、日本政府とEU間の制度相互認証の交渉ポイント。経団連はこの点を強く主張している。

7. 産業別インパクト

鉄鋼業

最大のインパクト産業。日本の高炉メーカー(日本製鉄、JFEスチール、神戸製鋼所等)は、EU向け輸出(直接・自動車経由間接)の炭素コスト負担増を見据えて水素還元製鉄等のGX投資を加速。電磁鋼板・高張力鋼板などの高品質鋼の埋め込み排出量を低減し、世界平均より低い水準を維持できれば、CBAM下でも競争優位を保てる。

アルミ業界

アルミは生産時の電力消費が圧倒的。電源構成(再エネ比率)が排出原単位を決定する。日本のアルミ加工メーカーは、製造拠点の電源グリーン化(PPA・再エネ証書)が直接的なCBAM対応となる。

セメント業界

セメントはプロセス排出(石灰石脱炭酸)が主因で技術的削減が難しい。日本のセメント大手(太平洋セメント、住友大阪セメント等)はEU向け輸出量は限定的だが、グローバル展開の文脈で重要。

水素業界

水素は当初から対象6品目の一つ(電力とともに、グリーン水素の国際取引が本格化する前段階での制度化)。日本の水素戦略との連動が論点になる。

8. 日本企業の対応戦略 — 5つの論点

論点① 排出データの整備

製品単位の埋め込み排出量を実データで算定・第三者検証できる体制を整備。マスバランス方式(後述)の活用も視野。SBT認定・SSBJ・ISSB S2のScope 1・2・3算定能力が、CBAM対応の土台になる。

論点② グループ会社の整理

EU子会社経由の輸入の場合、誰がDeclarantになるかの整理。直接輸出かEU現地法人経由かで実務負荷とコスト負担構造が変わる。

論点③ デフォルト値 vs 実データ

自社の排出原単位がEU公表のデフォルト値より低い場合は、実データ申告でCBAM証書購入量を削減可能。第三者検証の費用と削減効果を比較してROI判断。

論点④ 域外炭素コストの活用

GX-ETS、J-クレジット、SHK報告制度等で支払った炭素コストをCBAM控除額として申告するスキーム整備。日本政府とEUの制度相互認証の動向を継続ウォッチ。

論点⑤ 低炭素製品の差別化

同じカテゴリーでも、自社製品の埋め込み排出量が低いことを示せれば、CBAM下で価格競争力を発揮できる。日本鉄鋼の高効率設備や、アルミの再エネ電力使用などが直接的な差別化要素。

9. グリーンスチール/GXスチールとの連動

日本鉄鋼連盟は2024年に「グリーンスチールに関するガイドライン」を策定。鉄鋼メーカーが自ら実施した削減プロジェクトのCO2削減量を、マスバランス方式で特定製品に割り当てる仕組み。worldsteelもこのガイドラインを土台に2024年11月にVer.1ガイドラインを発行し、国際標準化が進む。

CBAM対応では、グリーンスチール/GXスチールの製品単位排出量の透明性と信頼性が鍵。日本のガイドラインの国際整合化、worldsteel認証、SBT認定の連動が、日本鉄鋼業の国際競争力維持に直結する。

10. M&A・カーブアウトの論点

CBAMの本格運用は、M&A局面にも影響する。

  • EU子会社のカーブアウト:分離後の認可Declarantの再取得、輸入実績の引継ぎ
  • クロスボーダーM&A:買収対象のEU市場アクセス、CBAM対応コストの将来見通し
  • サプライチェーン再編:EU向け輸出構造の最適化、現地生産化の検討
  • 排出原単位の改善投資:水素還元、再エネPPA、CCUSの導入

EU向け売上比率の高い製造業のM&Aでは、CBAMコストの長期見通しがEV試算の重要パラメータになる。

11. 競合国の対応 — 世界の動き

CBAMに触発されて、世界各地で類似の制度検討が進む。

  • 英国UK CBAM:2027年導入予定、EU CBAMと類似だが詳細は未確定
  • 米国:Clean Competition Act等が議論中、政権交代の影響も
  • カナダ:類似制度の検討
  • 豪州:気候政策強化と並行
  • 中国:国内ETS拡大と並行して、対外貿易への対応戦略

日本のGX-ETSも国際的に注目されており、各国制度の相互認証が今後の中長期テーマ。日本企業はEU CBAM対応の経験を、他国の同等制度への先行対応として活用できる可能性がある。

12. 中堅・中小企業への波及

50トン閾値で免除される輸入者も多いが(水素・電力は除く)、それ以上を輸出する企業は対応必須。さらに:

  • サプライヤー要請:大手の下請・部品メーカーがCBAM対応データ提供を要請される
  • カーボンフットプリント開示:取引条件としての排出データ提供
  • 低炭素プロセスの選好:EU向け取引のあるメーカーがサプライチェーンに低炭素を要請

直接CBAM対象でなくても、サプライチェーン経由で対応を求められる中堅・中小企業は急増する。Scope 3記事で扱った1次データ活用の仕組みが、CBAM対応の基盤としても活きる。

13. WTO適合性と今後の論点

CBAMがWTO(国境措置の差別禁止原則)に適合するかは、CBAM導入時から議論されてきた。EU側は「国内ETSと同等のコストを国境で課すだけで差別ではない」と主張するが、輸出国側からの異議申立も予想される。

日本政府(経産省、外務省、経団連)はWTO整合性、相互認証、デフォルト値透明性の3点でEUと協議を継続。2026年以降の運用初期で具体的な紛争事案が発生する可能性もあり、企業は政府方針と並走しながら対応する必要がある。

こんなときに、Sasla

・CBAM対応の戦略立案で、業界経験者の感覚値(実データvsデフォルト値の選択、コスト試算)を聞きたい
・EU子会社のDeclarant認可申請、社内体制構築のレビューが欲しい
・グリーンスチール/GXスチールのマスバランス方式、第三者検証取得の論点整理
・GX-ETSとCBAM控除の相互認証、日本政府交渉動向の最新情報
・M&Aで対象企業のCBAM対応力(排出原単位、EU向け輸出比率)をDDしたい
・他国CBAM(英国、米国等)の動向把握、グローバルポートフォリオ戦略

Saslaには、商社のEU貿易担当者、鉄鋼・アルミメーカーの脱炭素戦略担当、ESG法務、サステナビリティーDDコンサルタント、政府関係の業界専門家が業界横断で登録しています。1時間のスポットインタビューから本格的なリサーチ・伴走支援まで、フェーズと予算に応じて活用可能です。

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14. CBAMは「炭素コストの内部化」を世界に広げる

CBAMは単独の規制ではなく、「炭素を内部コストとして扱う」という世界的なシフトの象徴である。EUが先行し、英・米・加・豪・中も類似制度を検討している現状は、20年前のWTOと類似する不可逆な流れ。日本企業がCBAMを「規制対応」だけで終わらせるか、「グローバル脱炭素戦略の起点」とするかで、長期競争力は分かれる。

2026年〜2027年は運用初期の試行錯誤期。デフォルト値、マスバランス、相互認証、WTO論争——複数の不確実性が並走するが、実データ整備・低炭素プロセス投資・EU政策の継続フォローを並行できる企業ほど、CBAM下でも競争優位を保てる。早く動いた企業ほど、実データ算定の精度、低炭素サプライチェーン、EU子会社との統合運用、worldsteel等の国際標準でのプレゼンスという、模倣困難な資産を蓄積できる。

出典・参考資料

本稿は、以下の一次資料・公的資料をもとに整理した。市場規模・スケジュール・制度内容は各時点の公表値であり、最新の改正・更新で変わりうる。