「認証パーム油をマスバランス方式で100%調達済み」——多くの食品企業がサステナビリティレポートでこう誇る。だが、その達成をもってEUDR(EU森林破壊防止規則)への対応も済んだと考えているなら、それは危うい誤解だ。認証の達成と、規制が求める要件は、トレーサビリティの「段階」が違う。本稿は、この見落とされがちな段差を軸に、EUDR・CSDDDの最新スケジュール、RSPOなどの認証スキーム、そして認証コストを誰が負担するのかという力学までを、実装目線で整理する。パーム油・大豆・カカオ・コーヒー・牛肉・木材・天然ゴムという7コモディティを扱う食品・農業は、森林破壊と人権という二つの大きなリスクをサプライチェーンに抱え、規制・認証・消費者圧力が同時に強まる業界だからこそ、「やっているつもり」と「要件を満たした」の差は大きい。
1. EUDRは延期された——だが準備を止める理由にはならない
まず事実関係を最新化しておきたい。EUDRは2023年6月に公布されたが、その後二度にわたり適用が延期された。2025年12月の改正(Regulation (EU) 2025/2650)により、現在の適用開始は中堅・大企業が2026年12月30日、零細・小企業が2027年6月30日となっている。EU市場に7コモディティとその派生品を流通させる企業に、2020年12月31日以降に森林破壊・劣化された土地由来でないこと、生産国法令の遵守、そして生産地のジオロケーション(プロット単位の位置情報)に基づくデューデリジェンスを求める枠組みだ。違反には年間EU域内総売上高の少なくとも4%の制裁金(EUDR第25条)が科されうる。
延期で1年強の猶予が増えたのは事実だが、これを「対応を後ろ倒しにしてよい」と読むのは誤りだ。最大の作業は、後述するとおり生産地のジオ情報を末端の農家まで遡って集めることであり、これには時間がかかる。延期はジオロケーション収集の準備を進める時間を与えたのであって、止める理由を与えたわけではない。
2. 「MB100%達成」がEUDRを満たさない理由——認証の段階を理解する
ここが本稿の核心だ。RSPOなどの認証パーム油には、トレーサビリティの強度が異なる複数のモデルがある。IP(Identity Preserved/完全分離)は単一農園まで追える最も厳格なモデル、SG(Segregated/分別)は認証品を物理的に分離して流通させるモデル、MB(Mass Balance/マスバランス)は認証品と非認証品の混合を認めつつ投入量と産出量を量的に帳尻合わせするモデル、そしてBook & Claimは物理的な追跡をせずクレジットを購入する仕組みだ。コストと実務負担の軽さから、日本企業の多くはMBを採用してきた。
問題は、EUDRが求めるのは物理的なトレーサビリティ——その製品が「どの区画で生産されたか」をジオ情報で示すこと——であり、混合を前提とするMBやクレジット方式のBook & Claimでは満たせないという点だ。つまり、「RSPO認証油をMBで100%調達済み」という達成は、サステナブル調達の前進ではあっても、EUDR対応としては不十分になる。MB100%を掲げる国内大手であっても、EU向けにはSG以上の区分流通や、区画単位のジオ情報の収集を別途上乗せする必要がある。「認証は達成した、だから規制も大丈夫」という思い込みこそ、いま最も点検すべきポイントだ。
3. 国内大手の到達点と、その先の宿題
国内大手の取り組みは進んでいる。明治ホールディングスはパーム油でマスバランス方式100%の調達を掲げ、カカオでは「明治サステナブルカカオ豆」の調達比率を2026年度目標から2年前倒しの2024年度に100%とする見通しを公表している(いずれも同社公式開示)。味の素グループも認証パーム油の調達比率を引き上げ、環境・人権・トレーサビリティに配慮した原材料調達の方針を示す。不二製油はNDPE(No Deforestation, No Peat, No Exploitation)方針のもとプランテーションと直接協働し、カカオでもコートジボワール・ガーナでのサステナブル調達を進める(各社公式サイトの公表情報による)。
ただ、これらの達成の多くはMBや方針ベースであり、前節の論点に照らせば、EU向け事業ではジオ情報に基づく物理トレーサビリティへの上乗せが宿題として残る。各社の達成率や年次は公式開示で確認するのが前提で、「●年に何%」という数字を独り歩きさせず、それがどの認証モデルでの達成なのかまで見ることが、調達戦略の評価には欠かせない。
4. 認証プレミアムは「誰が」負担しているのか
認証品は非認証品より割高で、品目・認証モデル・時期により数%から数十%のプレミアムが乗ることがある。ここで問うべきは「いくら高いか」だけでなく、「そのプレミアムをサプライチェーンの誰が負担しているか」だ。理屈の上では、消費者やブランドが上乗せ分を負担して原産国の小規模農家に還元される建付けだが、現実には、認証取得の費用と手間を最も担いきれないのが原産国の小規模農家であり、ブランド側の調達コスト増は店頭価格に転嫁しきれないことも多い。結果として、認証の負担とプレミアムの便益が、サプライチェーンの上流と下流でずれる。中堅・中小の食品メーカーが認証品調達に踏み切れない本質的な理由も、この「負担はするが価格転嫁できない」構造にある。認証戦略を設計するときは、コスト総額より先に、この負担の所在を見ておきたい。
5. 中堅・中小の現実的な選択肢
大手のようにフルの認証調達を一気に進められない中堅・中小には、いくつかの現実的な道がある。一つは、主要原料から段階的に認証品へ移行し、「2027年までにパーム油はMB、その先でEU向けは物理トレース」のように、規制の段差を織り込んだコミットメントで開示すること。もう一つは、サプライヤーを絞り込んで認証を持つ仕入先と長期契約し、トレーサビリティと取引コストを両立させること。Book & Claimのクレジット購入は、EUDRは満たせないものの、国内向け事業のサステナブル調達の入口としては機能する。さらに、パーム油の使用量自体を減らす製品設計の見直しや、規制の厳しいEU向け業務用から国内消費者向け市場に集中する、という割り切りも選択肢になる。重要なのは、自社がEU市場に直接さらされているのか、それとも国内向けが中心なのかを見極め、対応の深さを変えることだ。
6. CSDDDと、日本企業の「二重基準」コスト
森林破壊フリーを問うEUDRと並んで、サプライチェーン全体の人権・環境デューデリジェンスを義務づけるのがCSDDD(企業サステナビリティ・デューデリジェンス指令、Directive (EU) 2024/1760)だ。ただし、その適用閾値と時期は2025〜2026年のオムニバス(簡素化)で大幅に見直され、対象企業の規模に応じて段階的に適用される(確定した閾値・適用時期は一次資料での確認が前提)。日本企業も、EU子会社や一定のEU売上を通じて対象になりうる。
ここで日本企業に固有の論点が生じる。EU向け事業だけが規制の直接対象になる場合、EU向けと国内向けで調達基準を二重に持つことになり、オペレーションとコストが分岐する。EU向けには物理トレースとデューデリジェンスを敷き、国内向けには従来のMB調達を残す——という二重化は、管理が煩雑でコストもかさむ。これを嫌って全社の調達基準を高いほうに揃えるか、市場ごとに割り切るかは、経営判断になる。規制対応を「EUの話」と切り離さず、自社の調達体制全体をどう設計するかという問いに引き上げることが要る(人権側は人権DDの実装、開示はCSRDが日本企業に求めるものも参照)。
7. 認証の先にある潮流——リジェネラティブ農業と代替タンパク
調達リスクへの対応の先には、農法そのものを変える動きもある。土壌の健康や生物多様性、CO2固定を促すリジェネラティブ農業(再生型農業)は、ネスレやペプシ、ダノンといった食品大手が大規模プログラムを始め、日本企業のパイロットも動き出した。ただ、日本勢が本格展開に踏み切れない背景には、固定された炭素や土壌改善をどう測るか(MRV)の難しさと、契約農家との費用・リスク分担の調整という実務の壁がある。もう一つの大きな潮流が代替タンパクだ。畜産は世界の温室効果ガス排出の約14.5%を占めるとの推計があり(FAO、2013年推計)、植物性・培養・発酵・昆虫由来のタンパクが、長期の構造変化要因として注目される。これらは認証調達の延長というより、原料構成そのものを問い直す動きとして捉えたい。
こんなときに、Sasla
・自社のサプライチェーンの森林破壊・水・人権リスクを業界専門家と評価したい
・EUDR/CSDDDの対応ロードマップ(認証と規制の段差を含む)を実務経験者と整理したい
・RSPO/ISCC等の認証スキーム選定とトレーサビリティ強度の論点整理が欲しい
・原産国(インドネシア・コートジボワール・ブラジル等)でのジオ情報収集・サプライチェーン構築の現地経験者見解
・代替タンパク・リジェネラティブ農業への新規事業参入の事業性検討
・M&A時の食品業界サステナビリティBDDの実行支援
Saslaには、食品大手出身者、農産物原料調達の実務経験者、認証スキーム(RSPO、Rainforest Alliance、FSC等)のコンサルタント、サプライチェーンDD専門家、代替タンパク・リジェネラティブ農業の専門家、原産国経験者が登録しています。1時間のスポットインタビューから本格的なリサーチ・伴走支援まで、フェーズと予算に応じて活用可能です。
よくある質問(FAQ)
Q. 「認証パーム油をMB100%調達済み」ならEUDRは満たせますか?
満たせません。EUDRは生産地のジオ情報に基づく物理的トレーサビリティを求めるため、認証品と非認証品の混合を前提とするマスバランス(MB)やクレジット方式のBook & Claimでは要件を満たせず、SG(分別)以上の区分流通とプロット単位の位置情報が別途必要です。「認証達成=規制対応済み」という思い込みこそが、最も危険な落とし穴になります。
Q. EUDRはいつから適用されますか?
2025年12月の改正(Regulation (EU) 2025/2650)で再延期され、中堅・大企業は2026年12月30日、零細・小企業は2027年6月30日からの適用です。猶予は増えましたが、末端農家まで遡るジオ情報収集には時間がかかるため、準備を止める理由にはなりません。最新の運用詳細は欧州委員会の一次情報で確認してください。
Q. 認証プレミアムは結局どこで負担されていますか?
理屈では消費者・ブランドが負担して原産国農家に還元される建付けですが、現実には認証取得の費用と手間を担いきれないのが小規模農家で、ブランド側の調達コスト増も店頭に転嫁しきれないことが多い。負担と便益が上流と下流でずれる構造があり、中堅・中小が認証調達に踏み切れない本質もここにあります。コスト総額より、この負担の所在を先に見るべきです。
Q. 日本企業はCSDDDの影響をどう受けますか?
EU子会社や一定のEU売上を通じて対象になりえます。閾値・時期は2025〜2026年のオムニバスで大幅に見直され、規模に応じ段階適用されます(最新は一次資料で確認)。実務上は、EU向けと国内向けで調達基準を二重に持つコストが生じやすく、全社で高い基準に揃えるか市場ごとに割り切るかという経営判断が問われます。
Q. 中小食品メーカーは何から着手すべきですか?
まず自社がEU市場に直接さらされているかを見極めることです。EU向けが中心なら物理トレースの準備を優先し、国内中心ならMB調達やBook & Claimから段階的に。あわせて、サプライヤーマッピングと森林破壊・人権リスクのホットスポット分析で、どの原料・地域から手を付けるかの優先順位を付けるのが現実的です。
「達成」と「要件充足」の差を、経営が見る
食品・農業において、調達はコスト管理の機能から事業の根本戦略へと位置づけが変わった。だが、その移行で最も危ういのは、「認証を達成した」という成果が「規制要件を満たした」と同義だと誤認することだ。MB100%は前進だが、EUDRの物理トレーサビリティとは段階が違う。延期で得た猶予はジオ情報収集の準備に充て、認証プレミアムの負担構造を直視し、EU向けと国内向けの基準をどう設計するかを経営として決める——2026〜2030年に問われるのは、この「達成」と「要件充足」の差を埋める実装力だ。自社のサプライチェーンのどこに段差が残っているのか、現場と原産国を知る専門家との対話で点検しておきたい。
出典・参考資料
本稿で参照した主な一次資料。規制・統計値は各公表時点のもの。