2022年12月、生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)第二部はカナダ・モントリオールで「昆明・モントリオール生物多様性枠組」(Kunming-Montreal Global Biodiversity Framework、以下GBF)を採択した。189カ国が参加し、2050年ビジョン「自然と共生する世界」、2030年ミッション「自然の損失を止め反転させる」のもと、4つの2050年グローバルゴールと23の2030年グローバルターゲットが定められた。その中で日本が特に重視するのが「30by30」(ターゲット3)と、企業の取組に直結するターゲット15(情報開示)・18(補助金)・19(資金)である。本稿では環境省・CBD一次資料に基づき、GBFの構造、日本の生物多様性国家戦略2023-2030、企業のネイチャーポジティブ実装ステップを整理する。
1. GBFの全体構造
採択の経緯
GBFは、2010年の愛知ターゲットを継承する「ポスト2020生物多様性枠組」として、当初は2020年中国・昆明での採択が予定されていた。新型コロナの影響で第15回締約国会議(COP15)は分割開催となり、第一部(2021年10月、昆明・オンライン)で「昆明宣言」を、第二部(2022年12月7〜19日、モントリオール、議長:中国、ホスト:カナダ)でGBF本体を採択した。
GBFの構造(環境省仮訳に基づく整理)
2050年ビジョン:自然と共生する世界(A world living in harmony with nature)
2030年ミッション:人々のために、そして地球のために、生物多様性の損失を止め反転させ、回復軌道に乗せる
4つの2050年グローバルゴール(A〜D):生態系・種の保全、自然のサービスの維持、利益の公正配分、資金・能力の動員
23の2030年グローバルターゲット:8項目は数値目標、残りは行動目標。生態系保全(1〜3)、種・利用(4〜9)、ビジネス(14〜18)、実装手段(19〜23)
国連の公式発信:COP15での合意とその意義
GBFの採択は、生物多様性分野における「パリ協定モーメント」と呼ばれた歴史的合意である。国連環境計画(UNEP)のインガー・アンダーセン事務局長は、COP15閉幕時のメッセージで、政府・企業・市民社会への即時行動の呼びかけを行った。
出典:UNEP(国連環境計画)公式チャンネル「‘It’s time to roll up our sleeves’ UNEP’s ED Inger Andersen calls for action」
2. 企業に直結する主要ターゲット
23ターゲットのうち、日本企業の経営・開示・調達・投資に直接影響する主要なものを抽出する。
ターゲット3:30by30(陸と海の30%保護)
2030年までに、生物多様性と生態系サービスにとって特に重要な地域を含めて、世界の陸域・内陸水域・沿岸域・海域の少なくとも30%が、効果的に保全・管理されること。OECM(Other Effective area-based Conservation Measures、保護地域以外の効果的地域型保全措置)が新たに位置づけられた。日本では、企業の森・里山・湿地を「自然共生サイト」として認定する制度が2023年度から始まり、2030年30%の達成手段として活用される。
ターゲット15:企業の評価・開示
2030年までに、大企業や金融機関を中心に、事業活動・サプライチェーン・バリューチェーンが生物多様性に与えるリスク・依存・影響を定期的にモニタリング・評価・透明性をもって開示すること。これがTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)の存在基盤である。ISSBは2025年11月、TNFDフレームワークを土台に自然関連の開示基準策定に入ることを決定しており、公開草案はCBD COP17(2026年10月)までの公表が目標とされる——TCFDがISSB S2へ制度化された時間割を、自然もなぞり始めた。
ターゲット18:有害な補助金の見直し
2025年までに生物多様性に有害な補助金を特定し、2030年までに少なくとも年間5,000億ドルを漸進的に削減・段階的に廃止・改革すること。化石燃料補助金、過剰な漁業補助金、森林伐採を助長する農業補助金などが対象。日本でも農業・林業・漁業の補助金見直しが議論の俎上に上がっている。
ターゲット19:資金動員
2030年までに、すべてのソースから年間少なくとも2,000億米ドルを生物多様性のために動員すること。先進国から途上国への国際公的資金フローを2025年までに年間少なくとも200億米ドル、2030年までに年間少なくとも300億米ドルに増やす。さらに民間資金を促進するイノベーティブな仕組み(グリーンボンド、生態系サービス支払い、生物多様性クレジット、サプライチェーン投融資等)の活用を奨励。
その他の重要ターゲット
- ターゲット2:劣化した生態系の少なくとも30%を効果的に回復
- ターゲット7:栄養塩・農薬・プラスチック等の汚染を生物多様性に有害でないレベルまで削減
- ターゲット8:気候変動と生物多様性損失への統合的対応(自然を活用した解決策=NbS)
- ターゲット14:政策・規制・計画・開発・撲滅戦略への生物多様性の主流化
- ターゲット16:持続可能な消費(食料廃棄半減、過剰消費削減)
- ターゲット22:先住民・地域コミュニティ・女性・若者の参画と権利の確保
3. 日本の対応:生物多様性国家戦略2023-2030
日本政府は2023年3月、GBFに完全準拠した形で「生物多様性国家戦略2023-2030〜ネイチャーポジティブ実現に向けたロードマップ〜」を閣議決定した。GBFの23ターゲットに対応する形で5つの基本戦略と25の行動目標を設定している。
生物多様性国家戦略2023-2030 の5つの基本戦略
基本戦略1:生態系の健全性回復(30by30、OECM、自然共生サイト)
基本戦略2:自然を活用した社会課題の解決(NbS、グリーンインフラ、生態系減災)
基本戦略3:ネイチャーポジティブ経済の実現(企業のネイチャーポジティブ経営、サプライチェーン)
基本戦略4:生活・消費行動の変容(持続可能な消費、フードロス)
基本戦略5:科学・技術・教育・データ整備(自然資本データベース)
30by30アライアンス
環境省は2022年4月に「30by30アライアンス」を発足。企業・自治体・NGOが「自然共生サイト」の登録を進めている。2025年4月には根拠法の「地域生物多様性増進法」が施行され、同法に基づく認定は令和7年度第3回までで合計569か所にのぼり、「早期に500か所以上」という当初目標を達成した。経団連自然保護協議会(KNCC)も連携機関として参加している。
ネイチャーポジティブ経営推進プラットフォーム
環境省は2025年3月、企業のネイチャーポジティブ経営を後押しする「ネイチャーポジティブ経営推進プラットフォーム」を立ち上げた。事例集、自然共生サイト認定、ビジネスマッチング、生物多様性クレジット等の制度設計の場として機能している。経団連の「経団連生物多様性宣言イニシアチブ」(約370社・団体規模が参加)と並行して、企業の実装を支える社会インフラが形成されつつある。
COP15での日本の表明
2022年12月のCOP15第二部において、日本政府はGBFの実施に向けて次を表明した。
- 生物多様性日本基金第二期の開始
- SATOYAMAイニシアティブ関連プロジェクト「COMDEKS」への7億円規模の支援(COP15第二部での日本政府表明)
- 2023〜2025年における途上国支援約1,170億円の表明(同上)
4. TNFDとの接続
GBFは「政府が何をするか」を定めた枠組みであり、企業が「何をどう開示するか」はTNFD(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures)が引き受ける構造になっている。両者の関係性を理解することが、企業の実装設計の前提となる。
GBFとTNFDの分業構造
GBF(政策レイヤー、CBD・各国政府):23ターゲットで政府の責務を規定。
・ターゲット15:企業に「評価・開示」を求める根拠条文
・ターゲット19:民間資金動員の方向性
TNFD(開示レイヤー、市場主導):v1.0(2023年9月)で4本柱14提言を発表。
・LEAPアプローチ(Locate, Evaluate, Assess, Prepare)でリスク・依存・影響を構造的に評価
・アーリーアダプターは2024年1月時点で世界320社、その後も増加し2025年10月末で世界731社・うち日本210社(29%)と日本が国別最多
・SBTs for Nature/SBTNとも整合
つまり、GBFターゲット15の「事業活動の生物多様性影響の透明な開示」を、実装レベルで具体化するツールがTNFDという関係である。企業はTNFDのLEAPアプローチで現状把握→重要拠点・サプライチェーンの優先順位付け→KPI設定・開示、という流れを取る。
5. 企業のネイチャーポジティブ実装ステップ
GBFとTNFDを企業の業務サイクルに落とし込むための、実装ステップを5段階で整理する。
ネイチャーポジティブ実装の5ステップ
Step 1:認識(Awareness) 経営層・社内ステークホルダーに、生物多様性が事業リスクと機会の両面で重要であることを浸透させる。社内勉強会、専門家招聘。
Step 2:評価(Assessment) TNFD LEAPアプローチで自社の重要拠点・サプライチェーンの自然との接点(依存・影響)を評価。SBTN Materiality Screeningも併用。
Step 3:戦略(Strategy) マテリアリティの高い領域に対する目標(SBTN科学的根拠ある自然目標)と実装計画を策定。30by30に貢献する自然共生サイト登録なども検討。
Step 4:実装(Implementation) 調達基準への組み込み、サプライヤーエンゲージメント、生物多様性配慮の生産プロセス、NbS(自然を活用した解決策)の導入。
Step 5:開示(Disclosure) TNFD v1.0準拠の開示、統合報告書・サステナビリティ報告書での発信。生物多様性クレジットなど新興のメカニズムの活用検討。
業種別の論点
業種によってGBF対応の論点は大きく異なる。
- 食品・農業・水産:サプライチェーンの土地利用変化、農薬・化学肥料、過剰漁獲。マテリアリティ最大
- 素材・化学・建設:天然資源(木材・パーム・鉱物)の責任ある調達、生態系破壊回避
- 金融:投融資先のネイチャーリスク評価、グリーンボンド・サステナブルファイナンスの組成
- 不動産・建設:開発時の生態系影響評価、グリーンインフラ、生物多様性に配慮した建物設計
- 製造業全般:水資源管理、サイト周辺の生態系、廃棄物・汚染の削減
6. 戦略的論点
論点①:気候変動との統合
GBFターゲット8は「気候変動と生物多様性の統合的対応」を明示している。一方で、企業の実装現場ではTCFD(気候)とTNFD(自然)が別個のフレームワークとして運用されがちで、調査・評価・開示の重複が発生している。気候・自然・人権の3軸を統合した開示プロセスの設計が、CSO・サステナビリティ部門の次の課題となる。
論点②:生物多様性クレジットの位置づけ
カーボンクレジットに類似する「生物多様性クレジット」が国際的に議論されており、英国・フランス・コロンビアなどが先行制度を整備中。GBFターゲット19の民間資金動員手段の一つとして注目される。ただし、カーボンよりも測定の難易度が高く、地域固有性が強いため、標準化と質保証の議論が現在進行形である。日本企業の参画スタンスを早期に固める必要がある。
論点③:ジャスト・トランジションと先住民・地域
GBFターゲット22は先住民・地域コミュニティ・女性・若者の権利と参画を強調している。30by30の保護区指定が、現地住民の権益と衝突するケース(特に途上国)が国際的に問題化している。日本企業がアジア・アフリカ・中南米でNbS・自然関連プロジェクトを展開する場合、FPIC(自由意思に基づく、事前の、十分な情報を得た上での同意)に基づくステークホルダーエンゲージメントが、案件の社会的受容性を担保する基本である。
7. 業界横断の専門家ネットワークで実装を加速する
ネイチャーポジティブ経営は、TCFDが切り拓いた気候開示の上に積み重ねる新しい論点で、業界・拠点・サプライチェーンごとの特性が強く、汎用的なノウハウが少ない。社内人材だけで全領域をカバーするのは現実的でなく、業界の実装経験者の知見をピンポイントで活用する設計が、初動の質とスピードを決める。
こんなときに、Sasla
・TNFD LEAPアプローチの実装で、業界先行事例の実情をヒアリングしたい
・自然共生サイト登録のプロセスや、認定後の活用方法を聞きたい
・サプライチェーンの生物多様性リスク評価で、業界経験者と議論したい
・SBTN科学的根拠ある自然目標の設定について、専門家から意見を集めたい
・生物多様性クレジット市場への参画スタンスを、海外動向に明るい実務者と整理したい
Saslaには、サステナビリティ経営、TNFD・SBTN実装、サプライチェーンマネジメント、自然資本会計の実務経験者が業界横断で登録しています。1時間のスポットインタビューから本格的な伴走支援まで、フェーズと予算に応じて活用可能です。
8. 「気候の次は自然」を、開示と実装の両輪で動かす
GBFが採択された2022年12月から4年。2024年のCOP16(コロンビア・カリ)ではDSI利益配分基金とモニタリング指標が合意され、2026年10月のCOP17(アルメニア・エレバン)ではGBF実施状況を評価する初のグローバルレビューが控える。日本では自然共生サイト569か所、TNFDアダプター210社(世界1位)、生物多様性宣言イニシアチブ約370社——市場・政策・実装が同時に動いている。2030年は遠い未来ではなく、いまの中期計画の終わりに重なる時間軸である。
気候のように「目標達成度=KPI」がシンプルに測れない自然関連分野では、開示の精度と実装の真摯さがそのまま企業の信頼性に直結する。GBFを政策イベントとしてではなく、自社のサプライチェーンと向き合うレンズとして使うことが、ネイチャーポジティブ経営の出発点である。
出典・参考資料
本稿で参照した主な一次資料。登録社数・認定数は各公表時点のもので、増加が続く。
- CBD「昆明・モントリオール生物多様性枠組(GBF)」(4ゴール・23ターゲット)
- 環境省「生物多様性のための30by30アライアンス」(自然共生サイト)
- 環境省「ネイチャーポジティブ経営推進プラットフォーム」開設(2025年3月)
- TNFD「TNFD Adopters」(アダプター登録状況)
- 環境省「地域生物多様性増進法に基づく認定(令和7年度第3回)」(自然共生サイト569か所)
- 環境省ほか「ネイチャーポジティブ経済移行戦略ロードマップ2025-2030」