水素とアンモニアは、再生可能エネルギーや低炭素な方法で製造すれば、燃やしてもCO2を出さないエネルギーキャリアになる。製鉄や大型船舶、長距離輸送、長期の電力貯蔵といった「電化だけでは脱炭素しきれない」用途の最後の受け皿として、各国が国家戦略に据えてきた領域だ。ただ、事業として眺めたとき、ここの本質は技術の善し悪しではない。突き詰めれば、問われているのはひとつだけである——最終需要家の手元に届いた時点で、何の代替として、いくらで、どれだけの量と期間を約束して供給できるのか。LNGの長期契約とまったく同じ問いだ。本稿は、製造・輸送・利用の三段を貫くこの「着地コストとオフテイク(長期引取契約)」という軸で、参入機会と落とし穴を整理する。

バリューチェーンを「調達問題」として読む

日本政府は2017年に世界初の水素基本戦略を策定し、約5年半ぶりとなる2023年6月6日の改定で導入目標を引き上げた。水素等(アンモニアを含む)の導入量を2030年に最大300万トン/年、2040年に1,200万トン程度、2050年に2,000万トン程度とする数字がそれである。ここで見落とされがちなのは、これらが「供給能力」ではなく「導入=引き取られる量」の目標であり、しかも2030年には「最大」という幅が付いている点だ。需要が立たなければ数字は埋まらない。

だからこそ、この産業の主役が技術を持つメーカーではなく、ENEOSやINPEX、出光興産といったエネルギー企業、そして大手総合商社になる理由が見えてくる。海外で安く作る当ては立つ。問題は、できた燃料を15年・20年という単位で誰が引き取るかだ。商社が前面に出るのは、海外プロジェクトの組成と長期売買契約のトレーディングという、まさにLNGで磨いた機能がそのまま効くからにほかならない。発電・燃料調達の実務でいえば、これは新しい燃料の「調達網づくり」であって、新技術の品評会ではない。この一点を腹に落とすと、以降の論点はすべて「着地コストとオフテイク」に収れんしていく。

製造——「色」より「着地コスト」で考える

製造方法は炭素の出方で色分けされる。化石燃料を改質してCO2を出すグレー、それにCCSを組み合わせたブルー、再エネ電力で水を電気分解するグリーン、原子力電力を使うピンク、メタンを熱分解して固体炭素を副生するターコイズ——呼び名は便利だが、事業判断では色そのものより、最終的な着地コストとライフサイクルのCO2強度が効く。「グリーンだから売れる」ではなく、「その色を、使う場所で、いくらで届けられるか」が問いだ。

水電解技術の選択も同じ構図にある。成熟して大規模化しやすいアルカリ型、変動電源に追従できるが高価なPEM型、高温で効率が高く実用段階に近づきつつあるSOEC——どれが優れているかではなく、どの電源(再エネの稼働率)と組むかで実効コストが決まる。装置の供給側はThyssenkruppやNel、ITM Powerなど欧州勢に旭化成・日立造船といった国内勢が続く構図だが、ボトルネックは装置価格そのものより、安価な再エネ電力をどれだけ高い稼働率で確保できるかにある。装置が安くても電気が高ければ水素は高い。

海外調達は、この「安い電気のある場所で作る」という発想の延長線上にある。豪州、サウジ・UAE・オマーンといった中東、北米——いずれも太陽光や風力が安い。ただし、製造原価の安さがそのまま着地コストにはならない。IEAのGlobal Hydrogen Review 2024によれば、グリーン水素の製造コストは地域差が大きく1kgあたり数ドル〜10ドル規模で、化石燃料由来の1.5〜6倍高い水準にあるとされ、2030年に向けて低下が見込まれている。だが後述するとおり、ここに輸送とキャリア変換のロスが必ず乗る。「製造で3ドルを目指す」ことと「使う場所で3ドル」は、まったく別の話なのだ。

輸送——「水素を運ぶための水素」というキャリアの本質

水素は体積あたりのエネルギー密度が低く、そのままでは運びにくい。ここで液化・MCH・アンモニアという三つのキャリアが競合するのだが、技術カタログとして並べても判断はできない。実務の勘所は、どのキャリアにも「運ぶために中身を一部食う」という自己消費がついて回ることだ。乱暴に言えば、水素を運ぶためにエネルギーを——ときには水素そのものを——使う。

液化水素はマイナス253℃まで冷やすと体積が気体の約800分の1になり、川崎重工が世界初の液化水素運搬船「すいそ ふろんてぃあ」を建造して海上輸送の実証を進めた。長距離・大量に向く半面、極低温まで冷やす液化の段でエネルギーを相当に費やす。MCH(メチルシクロヘキサン)は千代田化工建設の「SPERA水素」に代表される有機ケミカルハイドライド法で、トルエンと化合させ常温常圧の液体として既存タンカーで運べる利点がある。ただし使う段で水素を取り出す脱水素に熱を要する。

アンモニア(NH3)は水素を質量比で約18%含み、肥料用途で世界に年約2億トン規模の生産・輸送網がすでにある。プロパンに近い緩やかな条件で液化でき、受入基地も技術も枯れている。そして決定的なのは、発電や船舶でアンモニアのまま燃やすなら、水素に戻す手間が要らないことだ。「運ぶための損失」を最小化したいという調達側の論理が、純水素よりアンモニア直接利用を発電分野で先行させている。つまりキャリア選択は技術の優劣ではなく、最終用途が純水素を欲しがるのか、アンモニアのまま使えるのかという出口の設計で決まる——ここを取り違えると、せっかく安く作っても使う場所で割に合わなくなる。

利用——需要が立ち上がる順番

利用側で最も実装が進んだのは、石炭火力でのアンモニア混焼だ。JERAは碧南火力4号機(出力100万kW)で、2024年4月から6月にかけてアンモニアを熱量比20%混焼する実証を行い、定格運転のまま20%を達成した。窒素酸化物は混焼前と同等以下、温室効果の強いN2Oも検出下限以下だったと公表されている。ここで注意したいのは、しばしば語られる50%混焼や100%専焼が「達成済み」ではなく「目標」だということ。JERAとIHI・三菱重工は50%級の混焼実証を2028年ごろ、全量アンモニア化はさらに長期の課題として置いている。石炭火力の座礁資産化を避ける延命策として混焼を捉えるなら、この時間軸の現実を押さえておく必要がある。

産業利用では、水素還元製鉄、化学(アンモニア・メタノール原料)、製油所の脱硫、セメントやガラスの高温熱源と、水素そのものを必要とする用途が広い。一方、モビリティは様相が異なる。乗用FCVの普及は世界的に伸び悩み、足元では商用車・大型車を中心に活用が議論される傾向にある。水素ステーションの不足と価格がネックで、台数の出る商用車に的を絞り、その動線上にステーションを整える——という順序が現実的だろう。フォークリフトのように閉じた拠点で回る用途が先に実用化したのも、「需要が密で、インフラを限定できる場所から」という同じ論理だ。物流・運輸のゼロエミッション化とあわせて読むと、この立ち上がりの順番が見えてくる。

値差支援(CfD)——価格差を15年埋め、その代わり四半世紀背負う

この産業の制度的な背骨が、水素社会推進法(正式名称「脱炭素成長型経済構造への円滑な移行のための低炭素水素等の供給及び利用の促進に関する法律」、2024年5月24日公布・同年10月23日施行)である。「低炭素水素法」と略されることもあるが、政府が用いる通称は水素社会推進法であり、施行もすでに2024年中に済んでいる。この法律が用意したのが、化石燃料との価格差を政府が埋める値差支援(CfD型)と、受入基地などの拠点整備支援の二本立てだ。

調達の視点でこの制度の勘所を言えば、政府が事業者の最大のリスク——化石燃料に対する価格差と、その変動——を肩代わりする仕組みだという点に尽きる。JOGMECの説明では、供給開始から15年にわたり価格差を支援する一方、支援終了後も10年間の供給継続義務が課される。つまり事業者は実質四半世紀のオフテイクを背負う。これはLNG長期契約のテイク・オア・ペイと同じ構造であり、だからこそ長期契約の与信と運営に慣れた商社・電力が有利になる。なお「3兆円規模」という数字が独り歩きしがちだが、これは値差支援単体の上限ではなく、拠点整備支援まで含めた水素サプライチェーン構築支援全体の規模で、GX経済移行債による先行投資の一部だ。そして事業計画を認定・選定するのは経済産業大臣(主務大臣)であり、JOGMECはその審査を支援し助成金を交付する執行機関にあたる——この役割分担を取り違えると、誰に何を持ち込むべきかを誤る。

海外連携と、見落とされがちな「政策リスク」

海外プロジェクトは規模で先行する。サウジアラビアのNEOMグリーン水素事業は総投資額約84億ドル、最大4GWの再エネで水素換算1日最大600トン(グリーンアンモニアの形で出荷、年産アンモニア百万トン超の規模)を狙う世界最大級の案件だ。欧州はREPowerEUで2030年に域内製造1,000万トン・輸入1,000万トン(いずれも再生可能水素)を掲げる。日本勢の連携先としては、豪州のHESC(褐炭由来水素のサプライチェーン実証。川崎重工やJ-POWERが参画)などがある。ただしHESCの褐炭由来という出自は、商用段階でCCSを前提にしなければ脱炭素とは言えない。褐炭水素そのものはグレーに近く、ここを曖昧にすると「クリーン水素」と称することがグリーンウォッシュと受け取られかねない。

そして燃料調達の実務で最も警戒すべきは、地政学リスクと並ぶ「政策リスク」だ。米国のインフレ抑制法(IRA)は低排出水素に1kgあたり最大3ドルの税額控除(45V)を用意し、排出量で判定する技術中立型ゆえCCS付きブルー水素も対象になりうる制度だった。ところが2025年7月に成立した通称One Big Beautiful Bill Actにより、当初2033年だったサンセットが大幅に前倒しされ、2027年末までに着工する施設に絞られた。米国の税控除を当て込んだ事業計画は、政権交代ひとつで前提が崩れうる。海外の安い製造コストには、こうした制度の可変性が必ず付いてくる——調達担当者がいちばん眠れなくなるのは、為替でも輸送でもなく、ここである。

中堅企業・スタートアップの、現実的な入り方

資本もリードタイムも大きいこの分野で、中堅・スタートアップが正面から大型JVと張り合うのは現実的でない。入り方は三つに整理できる。第一に、大手プロジェクトへの部分参加——機器供給やEPCの一部、地域パートナーとしての関与。第二に、需要が密でインフラを限定できるニッチ(フォークリフト、特定拠点の水素配送、小型・移動式ステーションなど)への特化。第三に、水電解の高効率化、白金代替触媒、漏洩検知といった安全機器など、要素技術のライセンスや供給での参入である。いずれも「大手が組んだバリューチェーンのどこに、自社の技術や運営力で食い込めるか」という発想が起点になる。

リスクは率直に見ておきたい。化石燃料との価格差は依然大きく補助金依存が続くこと、FCVに代表される需要側の不確実性、受入基地やステーションの整備遅延、液化水素船やSOECなど一部技術の商用化リスク、海外供給地の安定性、そして受入基地周辺の地域受容性。値差支援はこのうち価格差リスクを強力に抑える装置だが、需要とインフラの不確実性まで消してはくれない。だからこそ、補助金の出口(支援が切れた後も成り立つか)を最初から織り込んだ事業設計が要る。

「水素社会」を、調達の言葉で言い換える

水素・アンモニアは、再エネ電力では届きにくい重工業・大型輸送・長期貯蔵を埋める「最後のピース」であり、輸入大国の脱炭素を輸入燃料の脱炭素化で実現するという日本独自の路線でもある。だがその実体は、新しいエネルギーの調達網を四半世紀かけて組み上げる事業にほかならない。2026年から2030年は、海外プロジェクトの商業化、国内受入インフラの整備、混焼発電の拡大が同時に進む立ち上がり期にあたる。どの技術が勝つかではなく、何の代替として・いくらで・どれだけの量と期間を約束できるか。この調達の問いに具体的な答えを持てる事業者が、長期の機会を取る。判断材料を磨く段では、製造・輸送・利用それぞれの実務を知る専門家との対話が、遠回りに見えていちばんの近道になる。

よくある質問(FAQ)

Q. グレー/ブルー/グリーン水素のコスト差は?

製造コストの目安は各種試算でおおむね、グレー水素が1kgあたり1〜2.5ドル前後、CCS付きのブルー水素が2〜3.5ドル前後、再エネ由来のグリーン水素が数ドル〜10ドル規模とされる(IEA Global Hydrogen Review 2024)。グリーンの幅が極端に広いのは、電力コストと水電解装置の稼働率で実効原価が大きく動くためだ。再エネ価格の低下と効率向上で差は縮むと見込まれるが、ここに輸送・キャリア変換のコストが上乗せされる点を忘れてはならない。

Q. アンモニア混焼は本当に脱炭素になるのか?

燃やす段ではアンモニアからCO2は出ない。だが脱炭素かどうかは製造段階で決まる。グレー水素由来のアンモニアならライフサイクルでは排出が残り、グリーンまたはブルーのアンモニアでなければ効果は限定的だ。混焼率の議論と同じくらい、原料アンモニアの「色」を確認することが、実務上はむしろ重要になる。

Q. なぜ商社が水素・アンモニア事業に注力するのか?

海外プロジェクトの組成・運営ノウハウ、長期売買契約のトレーディング機能、そして化石燃料事業で築いたバリューチェーン構築力——いずれもLNGで磨いた強みがそのまま効く。値差支援が前提とする15年超の長期オフテイクを成立させられるプレーヤーは限られ、商社はその数少ない担い手にあたる。LNG事業の再現を期待されている、と言い換えてもよい。

Q. FCV(燃料電池車)の普及が伸び悩む理由と打開策は?

水素ステーションの不足、車両価格、車種の少なさが絡み合っている。打開の現実解は、台数とエネルギー消費が大きい商用車(トラック・バス)への集中投資と、その走行ルート上へのステーション整備だ。乗用車は欧米でも普及に苦戦しており、商用先行という流れは各国に共通して見られる。

Q. 中小企業はこのエコシステムにどう入れるか?

地域の水素ステーション運営、燃料電池の小型化、漏洩検知などの安全機器、拠点間の水素配送といった地域密着型の事業か、大手プロジェクトへのEPC・機器供給での部分参加が入り口になる。需要が密でインフラを限定できる領域から攻めるのが定石である。

Q. 国内製造と海外調達、どちらを選ぶべきか?

判断軸は、再エネ電力価格と輸送コストを合算した着地コスト、見込める需要規模、政策インセンティブ、地政学・政策リスク、そして雇用や地域経済への波及だ。豪州・中東は製造原価が安い反面、輸送コストと供給地の安定性が課題になる。国内製造は高コストだが安全保障の意味を持つ。現実には、両者の組み合わせに落ち着くことが多い。

Q. 燃料電池技術の競争力はどこから来るのか?

白金触媒の効率化、PEMやSOFCといった方式の選択、製造プロセスのスケールと量産能力が源泉になる。トヨタやホンダ、パナソニックなど日本勢は長年の蓄積で世界の先頭集団にいる一方、コスト面では中国・韓国勢の追い上げが鮮明だ。技術の優位を価格の優位に変換できるかが、今後の分かれ目になる。

こんなときに、Sasla

・水素・アンモニア事業参入の事業性(製造・輸送・利用)を業界専門家と評価したい
・海外プロジェクト(豪州・中東・北米)への参画機会の論点整理
・水素社会推進法の値差支援(CfD)の活用設計
・水電解・燃料電池等の技術スタートアップへの投資DD
・FCV/FC商用車普及の事業見通し
・地域水素エコシステム構築の事業設計

Saslaには、エネルギー会社の水素事業担当者、商社の海外プロジェクトリード、エンジ会社のEPC実務者、化学・電機メーカーの研究開発責任者、自動車・船舶のFC事業担当、水素・アンモニア関連のスタートアップ・投資家が登録しています。1時間のスポットインタビューから本格的なリサーチ・伴走支援まで、フェーズと予算に応じて活用可能です。

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