水産で「サステナビリティ対応」と言うと、すぐにMSCやASCといった認証の取得話に流れがちだ。だが、水産大手や商社の経営企画と話していて感じるのは、事業の損得を本当に左右するのはその手前——どの魚種を、どの販路に、どの規制環境で売るのか——という判断だということだ。資源は確かに細っている。FAOのSOFIA 2024によれば、生物学的に持続可能な水準で漁獲されている海洋資源は62.3%まで下がり、過剰漁獲の比率は35.4%から37.7%へ上昇した。資源が細れば規制とトレーサビリティの要求は強まり、それがコストにも商機にもなる。本稿は、認証・IUU規制・ブルーカーボン・養殖・改正漁業法という個別トピックを「事業者が何を先に決めるべきか」という軸で読み替えていく。
1. 認証は「取るか否か」ではなく「どの魚種・販路で回収できるか」
MSC(海洋管理協議会、1997年設立)は持続可能な天然漁業を、ASC(水産養殖管理協議会、2010年設立、WWF主導)は養殖を認証する国際基準だ。MSCプログラムに関与する漁獲は、世界の天然海面漁獲の約2割に達するとされる(MSC年次報告)。日本でも、北海道のサンマやタラバガニ、京都府のアカガレイ、千葉県のキンメダイなどが認証を取得し、イオン(トップバリュ グリーンアイ)やセブン&アイの調達方針を通じて店頭に広がってきた。
ここで実務上の落とし穴になるのが、認証は漁業審査だけで終わらない点だ。商品に「MSCラベル」を付けて売るには、漁獲から加工・流通の各段階でCoC(Chain of Custody)認証が要る。つまり審査費用・年次更新費用は、漁業者だけでなく加工・流通の各社にも積み上がる。だから判断の核心は「認証を取るか」ではなく、そのCoCまで含めた総コストを、どの魚種・どの販路なら回収できるかになる。欧米の大手小売やグローバル外食の調達基準に乗る魚種、あるいは輸出で認証が事実上の入場券になっている市場でなければ、認証コストは回収しづらい。価格プレミアムが生じる場合もあるが、その有無も水準も市場・魚種でばらつきが大きく、「認証=値上げ」と単純には言えない。認証はゴールではなく、特定の販路に入るための手段——この順序を取り違えないことが、投資判断の出発点になる。
2. IUU規制とトレーサビリティ——コスト増を「販路の条件」と捉え直す
違法・無報告・無規制(IUU)漁業は、金額にして年間100〜235億ドル規模に上るとの推計がある(Agnew et al., PLOS ONE, 2009。やや古い推計だが今も広く引用される)。これに対し、EUはIUU規則で輸入水産物に漁獲証明書(Catch Certificate)を求め、米国はSIMP(Seafood Import Monitoring Program)で輸入監視を敷く。日本も2020年12月施行の改正漁業法で、あわび・なまこを「特定水産動植物」に指定し(シラスウナギは2023年に追加)、漁獲証明や取引記録の保管を段階的に導入してきた。
輸入・輸出に関わる企業にとって、これらは一見すると事務負担とコストの増加でしかない。だが見方を変えれば、トレーサビリティの整備は「規制市場に入り続けるための条件」だ。証明できない水産物は、EU・米国という大きな販路から静かに締め出される。QRコードによる漁獲情報の開示、ブロックチェーンを使った流通記録、種の真正性を確かめるDNA分析といった仕組みは、コストである以上に、調達基準の厳しい販路を確保するための投資として位置づけるのが実務的だ。
3. ブルーカーボンは「クレジット化の難所」を先に知る
マングローブ、海草藻場、塩性湿地、大型海藻といった沿岸・海洋生態系によるCO2の吸収・固定は「ブルーカーボン」と呼ばれ、新しいカーボンクレジットの源泉として注目される。日本でもJ-ブルークレジットの認証・取引が広がり、横浜港・阪神港の藻場再生や、商社(三井物産・住友商事等)の海外マングローブ事業、ジャパンブルーエコノミー技術研究組合(JBE)の取り組みが進む。
ただ、事業として組む前に知っておきたいのは、ブルーカーボンは陸上の森林クレジットよりもクレジット化の難度が高いという点だ。海中・潮間帯の炭素固定量を計測・報告・検証するMRVが技術的に難しく、追加性(その活動がなければ固定されなかったこと)や永続性(固定が長期に維持されること)の立証も森林以上に手間がかかる。価格も、J-ブルークレジットにせよ海外のVerra・Plan Vivo系のマングローブ・クレジットにせよ、案件と時期で大きく振れ、確立した相場とは言いがたい。そしてもう一つ、現場で頻発するのが便益配分の問題だ。藻場再生で生まれたクレジットの収益を、漁協・自治体・事業者でどう分けるか——ここで合意が崩れて頓挫する案件が少なくない。技術や制度より先に、この「誰の海で、誰が得をするのか」を設計できるかが成否を分ける。
4. 養殖と陸上養殖(RAS)——「閉鎖循環=環境に良い」の裏側
養殖の持続可能性の論点は、天然魚を餌にする飼料のタンパク変換効率、抗生物質や有機物の排出、養殖魚の逃亡、エビ養殖によるマングローブ伐採、動物福祉と幅広い。植物・昆虫・藻類由来の飼料への切り替えや、ASC認証の取得がその対応軸になる。
近年とりわけ注目を集めるのが、陸上の閉鎖循環式養殖(RAS)だ。マルハニチロと三菱商事の合弁事業(富山県入善町)やFRDジャパン(千葉県富津)のように、大手・ベンチャーの参入が相次いでいる。海面養殖の環境負荷を避けられ、需要地の近くで品質を安定させられるのが売りだ。しかし「閉鎖循環だから環境に優しい」という説明をそのまま信じるのは危うい。RASの本当のボトルネックは技術の有無ではなく、電力コスト・斃死リスク・初期ロットの歩留まりにある。水を循環させ水質を保つために電力を大量に使うため、その電力が化石燃料由来なら環境上の優位は目減りする。立ち上げ初期に大量斃死を起こせば一気に採算が傾く。実際、国内外でRASの事業化に挫折・撤退した例は珍しくない。初期投資も、商業規模では巨額に上る案件が多く、回収期間は長期にわたって技術・運営リスクで振れ幅が大きい。参入を検討するなら、先行案件のどこでつまずいたかを具体的に学ぶところから始めたい。
5. 改正漁業法のIQが促す、沿岸漁業の再編
2020年12月施行の改正漁業法は、TAC(漁獲可能量)対象魚種の拡大と、漁獲枠を漁業者ごとに割り当てるIQ(個別割当)の導入を柱とする。資源管理を科学的根拠に基づけ、新規参入者にも漁業権を開く——制度の趣旨は前向きだ。だが事業者の現実に引きつけると、これは「割当を持つ者」と「持たざる者」を分け、零細な沿岸漁業者に集約・退出の圧力をかける変化でもある。割当を確保できた経営体は計画的な操業と投資ができ、確保できなければ事業の継続が難しくなる。結果として、地域漁業の統合・再編や、後継者のいない経営体の事業承継・M&Aが論点として浮上する。「誰が割当を得て、誰が退出を迫られるのか」を地域単位で見立てることが、沿岸の事業者にとっても、そこへ出資・連携する側にとっても重要になる。
6. 海洋プラスチックと、欧州サプライチェーン規制の波及
漁網などの漁具(いわゆるghost gear)は、海洋プラスチックの相当部分を占めるとの推計があり、EUや各国で回収・リサイクルの義務化が進む。漁網由来のリサイクルナイロンを手がけるECONYLや、回収プラスチックを製品化するBureoのような事業が育ち、日本でも漁協・自治体による回収プログラムが広がってきた。
そして水産企業がいま備えるべきなのが、欧州のサプライチェーン規制の波及だ。EUDR(森林破壊フリー規則)やCSDDD(企業サステナビリティ・デューデリジェンス指令)は、規制名だけ見ると陸の話に見えるが、対象産品や取引先の人権・環境デューデリジェンスを通じて水産サプライチェーンにも及びうる。重要なのは規制名の暗記ではなく、適用のメカニズムだ。輸出企業や商社は、原産地・漁獲海域の証明、サプライヤー情報の把握、デューデリジェンス体制の整備を「いま」求められ始めている。EU向けに水産物を扱うほど、この準備の早さが取引継続の条件になっていく(自然関連リスクの開示はTNFD開示の実装、食品全体の調達リスクは食品・農業の持続可能調達も参照)。
7. 新規事業と代替シーフード——共存を前提に
事業機会としては、RASの技術・運営、昆虫や藻類を使う水産フィードテック、藻場再生とブルーカーボン、トレーサビリティSaaS、漁網リサイクル、そして代替シーフードが挙がる。代替シーフードは、Good CatchやDAIZ(大豆由来)に代表される植物性が先行し、BlueNaluやWildtypeのような細胞培養は規制承認とコストの壁から商業化は2030年代以降と見られる。日本の根強い魚食文化を踏まえれば、これらは伝統的な水産業を置き換えるというより、当面は共存しながら供給の幅を広げる位置づけになるだろう。寿司・刺身のような生食用途での代替は難度が高く、まずは加工・中食用途から浸透していくと見るのが現実的だ。
こんなときに、Sasla
・自社の水産事業のサステナビリティ戦略を業界専門家と整理したい
・MSC/ASC認証取得の論点整理
・陸上養殖事業の参入機会の評価
・ブルーカーボン事業の組成検討
・水産トレーサビリティシステムの導入
・代替シーフード(植物性、培養)への投資DD
Saslaには、水産大手の調達・経営企画担当、商社の水産事業責任者、養殖技術者、ブルーカーボン研究者、漁協・地方自治体の関係者、水産業界アナリスト、サステナブル水産のスタートアップ起業家が登録しています。1時間のスポットインタビューから本格的なリサーチ・伴走支援まで、フェーズと予算に応じて活用可能です。
よくある質問(FAQ)
Q. MSC/ASC認証は取るべき? 費用対効果の見極め方は?
「取るべきか」ではなく「どの販路で回収できるか」で考えるのが実務的です。認証は漁業・養殖の審査費用に加え、ラベルを付けて売るための加工・流通のCoC認証費用と年次更新費用が積み上がります。欧米の大手小売やグローバル外食の調達基準に乗る魚種、あるいは輸出で認証が事実上の入場券になっている市場であれば回収しやすい一方、国内一般流通だけが販路ならコスト倒れになりがちです。価格プレミアムが生じる場合もありますが、水準は市場・魚種で大きく変動します。
Q. ブルーカーボンクレジットを事業化するときの最大の難所は?
陸上の森林クレジットよりMRV(計測・報告・検証)が難しく、追加性・永続性の立証に手間がかかる点です。価格も案件・時期で大きく振れ、確立した相場とは言えません。加えて、藻場再生の便益を漁協・自治体・事業者でどう分けるかの合意形成でつまずく案件が多く、技術・制度より先に「誰の海で誰が得をするか」を設計できるかが成否を分けます。クレジットの売り先(企業のScope 3対応需要)の確保もあわせて見ておきたい論点です。
Q. 陸上養殖(RAS)の事業性をどう見ればよい?
「閉鎖循環=環境に良い」で評価を止めないことです。実際のボトルネックは電力コスト・斃死リスク・初期ロットの歩留まりにあり、電力が化石燃料由来なら環境優位は目減りします。初期投資は商業規模で巨額に上る案件が多く、回収期間は長期で振れ幅が大きい。国内外で挫折・撤退した先行案件のつまずきどころを具体的に学ぶことが、事業計画の精度を上げます。
Q. 改正漁業法は沿岸の事業者にどう効く?
TAC拡大とIQ(個別割当)は資源管理を科学化する一方、割当を持つ者と持たざる者を分けます。割当を確保できれば計画的な操業・投資ができますが、確保できなければ継続が難しくなり、地域漁業の統合・再編や事業承継・M&Aの論点が浮上します。「誰が割当を得て誰が退出を迫られるか」を地域単位で見立てることが、当事者にも連携・出資する側にも欠かせません。
Q. EU向けに水産物を扱う企業が、いま備えるべきことは?
EU IUU規則の漁獲証明に加え、EUDR・CSDDDが原産地・漁獲海域の証明やサプライヤーのデューデリジェンスを通じて水産サプライチェーンにも及びうる点です。規制名の暗記ではなく、原産地証明・サプライヤー情報の把握・デューデリ体制の整備という「適用される実務」を、取引継続の条件として前倒しで進めることが要点になります。最新の適用範囲は一次資料での確認を前提にしてください。
「海を守る」と「海と生きる」をつなぐのは、早い意思決定
海洋・水産のサステナビリティは、結局のところ「資源を守ること」と「水産業を続けること」をどう両立させるかに尽きる。2026〜2030年は、改正漁業法のIQが本格運用に入り、EUDR・CSDDDの適用が具体化し、ブルーカーボン市場と陸上養殖が立ち上がる時期が重なる。ここで効くのは、網羅的な情報収集ではなく、自社がどの魚種・どの販路・どの規制環境に賭けるのかという順番を早く決め切ることだ。認証もクレジットもトレーサビリティも、その判断に従う手段にすぎない。どこに張るべきかを見極める段階こそ、現場を知る専門家との対話が最も効く。